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2014年1月

今に生きる

「徹底」の記事に書きました宇佐晋一先生のことば

「頭の中を感覚とそれに伴う感情だけにして、人間の知能は、外の事柄にだけ使う.」

これをやろうとしてはいけません。

井上さんのホームより

「過去をいたずらに追うてはならぬ、未来をいたずらに待ってはならぬ」

過去に興奮し、悔み、未来を夢見、怯える

この過去の産物を排除すれば、そこにあります。

不識さんの言われる「前向き」

とにかく、湧いてくる、その過去の産物を、そのまま放っておく。

すると、すでにそこに宇佐先生の言われる世界があります。

今に生きようとしなくても、過去を捨てれば、そこが今です。

今に生きようとすると、今には生きられません。

ただ、感じたように書きました。

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経験をしても

2日前なんですが、なんか、グッと入った感じで、「こうか、ああか」「そのままにしよう」

など、何も意識にない状態で、湧くものが、そのままであり、そして、そのものに

なっている。

なっているので、反発がない。だから、その苦痛が30%くらいにして感じられない

ことが半日ありました。

ここだな、と思いました。

苦痛が減ったのは、さておいて、そこには、眼前、とか、そのまま、とか、最前線とか

ありません。それを考えるのは、こっちです。

こっちが考え、一人相撲を取っているだけです。

私を、どうこうしようと言う、私もいない、ところです。

そして、今まででしたら、湧いた煩悩を、放っておこう、とする私がいて、

掴んでこねくり回すと苦しくなるぞ、と思う私もいました。

が、そんなことを思うことすら、そんな気にならないで、湧いた煩悩を

掴みたければ、掴んで思考をフル回転させました。

勝手にさせました。脳みその思うがままです。

もちろん、自分の状態のチェックと、どうすれば?

以外のことです。

自分のチェックと、どうすれば?は、する心も起きません。

が、半日でその状態は少なくなり、今日には、ほとんどありません。

しかし、不識さんも言っておられますが、経験したものは捨てて行かなければ

いけません。

また、そのことは、なろうとして、なれるものではありません。

そこには、そんな私は、ないからです。

もちろん、なりたい私、は湧いて来ます。

が、その、なりたい私を、そのまま、にして、

です。

ただ眼の前、外向き、外を向くか、内を向くか、それのみ私に選択出来ます。

ですから、また基本に戻って、眼の前、そのまま、最前線。

これを出来たら、そこまで、それを継続するのみです。

後は、弥陀にまかせましょう。

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一方通行と言われるもの

眼前を続けて何が分かるのか。

それは、体感としての、一方通行。

「 どんな思いが湧いても構わない。
思いっぱなし。 思いっぱなしでしたら、
自分対自分になりません。一方通行だから。 」

不識さん

「 「いま」とは、いま、このように「そのものになって」体感しているということです。
身体が知っている。理解ではなく、体感なのです。 」

井上さん

一方通行と言いますと、言葉になってしまいます。

体が知っている、それ、でしょうか。


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すなおに

宇佐療法のブログにコメントを寄せられていた、わやさんがハッキリされたようです。

コメントはほとんど見てましたので、わやさんのコメントも見ていました。

「どれが内で、どれが外ですか」と言うようなコメントと思います。

あまり悩んんではおられない感じでした。

それから2ヶ月でハッキリとされたようです。

おそらく、素直に、そうか眼前か・・・

とやられたのだと思います。

私も素直に、眼前、外向き・・・行動で、その結果、言葉として・・・なにもしない、時の最前

線、放っておく。

すでにある、この眼の前の世界を、感じようとしなくても、感じれる世界を、

生きようと思います。

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徹底

このブログを始めた頃、一生懸命やってました。

しかし、次第に、ああだ、こうだ、巻き込まれ、はっきりとした方向性のないまま

もんもんと過ごしました。

宇佐療法のブログ 不識さんからアドバイスをもらいました。

そして、今、こうしています。

初期の頃、何が悪かったのか?

読み返してみましたが、それは「徹底」ではないかと思います。

「そのまま」を続けようといいながら、頭の中で、湧いた思いを掴んでウンウンする

ことを、やっております。

手放す、努力、なにもしない努力の徹底がないために、

いつのまにやら、その思いの、

手を出してはいけない、ドツボにはまる、世界を、またやっておりました。

rurumikさんのブログ

三聖病院(森田療法) 宇佐晋一先生のご講話から 

の最後に

「頭の中を感覚とそれに伴う感情だけにして、人間の知能は、外の事柄にだけ使う.」

とあります。

これです。今の様子、と、その様子に湧く思い。

そして、思考は生きていくために使う。

自分のことを考えない。自分の心を考えない。

湧いてくる思いは、過去、未来への想いです。

それは、どんどん湧いて来ます。

が、その想いをスルーすることの徹底です。

とにかく、この徹底をして、眼前、一方通行、なにもしない。

今を生きることです。

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そのまま

明けまして おめでとうございます。

井上住職の 
「問題のポイントは、悩みのもとである意識・認識・心の働きそのものにとらわれて、その意識・認識・心の働きの外に一歩として出られないということでした。つまり、心の働き自体が、心の働きの微妙で自在な活動に惑わされて、そこから少しも出られず、心の働き・認識・意識の中にあって、意識の内容だけを問題にし続けていたという事に気づいたのです。そこで、わたしは、意識の内容など問題とせず、「なにもしない」ことに集中しました。」 

今は、これしかありません。

宇佐先生

「治りたくなくても、治ってしまう」

そのまま、を続けることです。

湧いた心はそのまま。

力を抜けば、そこです。

求める上での「言葉」も力です。

黙って、目の前、そのまま・・・・

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