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2013年12月

眼前もなし

不識さんの宇佐療法のブログに「眼前」と言う記事があります。

「「眼前」だけ。他になし。つまり「眼前」もなし。」

私のコメントに不識さんから返答頂いたものに

「ウエアラブル端末メガネ」と言う言葉がありました。

その言葉を頂いた返答へのコメントです。

ウエアラブル端末メガネ

昨日、不識さんのコメントを読み返しました。
ウエアラブル端末メガネ
最初に読ませて頂いた時は、調べる余裕がありませんでしたので、
ネットで調べました。
メガネの中に情報が見えるものだと分かりました。

井上住職の
「問題のポイントは、悩みのもとである意識・認識・心の働きそのものにとらわれて、その意識・認識・心の働きの外に一歩として出られないということでした。つまり、心の働き自体が、心の働きの微妙で自在な活動に惑わされて、そこから少しも出られず、心の働き・認識・意識の中にあって、意識の内容だけを問題にし続けていたという事に気づいたのです。そこで、わたしは、意識の内容など問題とせず、「なにもしない」ことに集中しました。」

この文章を思い出しました。

そうでした。
すでにある、人間の実相でした。
自分の実感からも分かることです。

そして

いつまでも、目の前に現れる、「ああだ、こうだ、そうだ」これらの、
心の動きに惑わされて・・・

不識さんコメント
「ウエアラブル端末メガネ上に映ってる文字ばかり注意がいって、
すでに眼前にあるのに眼前から離れているんです。」

すでに、そうでした。
メガネで見える光景、そして一瞬遅れて、ウエアラブル端末メガネ上に出てくる、その説明(心)です。
それらは、すでに、子供の時からそうです。
メガネに出てくる説明(こころ)が変化しているだけです。

すでにあった、自分の実相。
この実相になりきる。

ことです。

以上

これも、読めば、そうなのですが、

すでに、そのメガネであるから、そこから、

よし!やるぞ!とやってみたところで、

それもメガネに写った文字になっています。

「これか、眼前は、音もきこえてるぞ」

「これが眼前か?なんかおかしいぞ」

とやっていますと、これも文字です。

文字は出て来ます。勝手に。

「これが眼前か?」

その時、そのまま、スクリーンに映る文字が流れるように、

勝手にその疑問が消えていけば、疑いはありません。

そこが眼前です。

そこに、居た、居れない、の繰り返しです。

居れない時、どんなにやっても、映った文字ですから、ダメです。

ダメな時はダメです。

と言って、居れる時もあるのです。

が、居よう、としても難しいです。

ただ、ここを繰り返し、居れる時間を長くして行こうと思っています。

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とにかく「時の最前線」とにかく「眼前」

10日ほど前に、なんだ、「今のことをしている、この単純なことでいいのか」」と 

分かった、ことがありました。 

しかし、それから、どうもイマイチでした。 

分かってるはずなのに、なぜかダメで、「自分対自分、放っておく」、となれないのです。 

「これか、これの維持か」と色気がでているのか。 

昨日、飛行機での移動時間が長く、集中してやってみようと思いました。 

うん、悪くはない、自動的に煩悩が切れる、放っておける。 

ここだ、これが時の最前線、眼前だ。

 

さらに継続しました。 

悪くはないが、どうも、湧いてくる煩悩をつかもうと、欲求がわいて、 

つかんでしまう。 

つかめば、思考が働いて、こねくりまわすと、辛い。 

宇佐療法のブログ 不識さん(以前の三聖さん)は、この道、以外のことは自分対自分で 

も、良い、と言っていたような・・・ 

しかし、自分では、湧く煩悩は、本当はつかみたくないのだけど、つかんで苦しむ 

この作業はどうなんだろう・・・ 

帰って、このブログの不識さん(三聖さん)のコメントを再確認しようと、思いました。

 

「楽だな〜」コメントより 

悟りは、認識出来ない出来る・風通しの悪い良い以前です。 

言わば、(今ということもないのですが)即今と呼ぶこの瞬時です。 

認識したことはすべて過去(未来についてを含め)のことです。

 

ただいま 

よく、井上さんが言われることに、 

『「時計の秒針が、12時のところに行ったら、「はい!」と声を出して下さい」 

・・・・12時を指しました・・・・ 

「はい!」 

「その、はい!は、12時から0.0何秒おくれていますね。認識は、今から遅れているのです」』

 

ただいま 

自分の認識は、時の最前線ではありません。 

煩悩を認識した時点で、最前線ではありません。 

ましてや、その煩悩をつかんで、うんうんやっているのは、当然、最前線では 

ありません。

 

ただ、

 

不識さんのコメント 

「外向き」の判断はあっても問題ないです。 

この場で、どう動いたらいいかとか・・スーパーで、レジ前に客が長蛇の列で、もうひとつの 

レジを開こうとか、そういう状況判断して動く場面も必要でしょう。

 

ただいま 

外向き、眼前、をしながらの、その場の判断、思考は、問題ないのです。 

その場でなくても、過去のことについて、思考するのは、問題ないです。 

思考は、その都度、切れて、終わっています。 

でも、思考の過程で、不安などの煩悩が湧いても、そのことについての思考を続ける 

ことです。 

これも悪くはないのですが・・・ 

不識さんのコメント 

とにかく、 

「内面の状態がどうあろうと、関わらず」なんですが、・・・ 

何回も言っているように『結果的に』なんです。 

「内面をそのままに」して 

という段取りの後、 

外に向かうというのでなくて、

いきなりの必要にしたがって、
 

目の前の状況に即応することが、外に関わることが、同時に、(その時は知らないが後で 

気がつけば、結果的に) 

ほったらかし、不問、心に用事なし、だったなぁ(自分の内面の経過が分かるということを経

ずに)ということなんです。

ですから手続き的には、外の事だけ。

内面は一切、説明なし。
 

用がないんだから。 

注意をとにかく、目の前です。 

これだけ言いたいんです。

 

ただいま 

ここが要点でした。 

最前線、眼前、外向き、とやっている。 

いろいろなものが湧いて来ます。 

ついついつかんでしまいます。 

これでいいのだろうか? 

眼前とは・・・ 

と湧いて来ます。 

この煩悩が辛いからこそ、求めているのだ、 

いったいこの煩悩はどうすればいいのか。 

井上さんとのやり取りでは・・・

 

ただいま  

煩悩が自動的に切れて行きます。 

井上さん 

それでいいですよ。

 

・・・ 

この自動的とは、そう思わなくても、結果的にです。 

そうなる時は、眼前です。 

が、 

未練、と言いましょうか、 

煩悩へのこだわりが抜けきれていませんでした。

 

井上さんホームより 

時の早さに負けないように集中して「これでいいんだ、これでいいんだ」と、 

なにものにも思いをとどめない状態の維持に一心に取り組んだのです。 

なにものにも思いを寄せず瞬時瞬時を切り落としていく努力、今に遅れない努力でした。

 

・・・

 

不識さん 

ですから手続き的には、外の事だけ。

内面は一切、説明なし。
 

用がないんだから。 

注意をとにかく、目の前です。 

これだけ言いたいんです。 

 

ただいま

 

自分に何が湧こうと 

この煩悩をつかんでしまうが、これでいいのだろうか? 

これで眼前なのか? 

この煩悩が辛いんだな〜 

とにかく、何が湧こうと、思おうと、ため息がでようと

 

眼前、時の最前線です。

 

本当の「今」は認識できませんから 

自分に出来ることは、自分にとっての真実は 

今、起こっている、眼の前のことにです。 

自分に、どんなことがでようと、辛かろうと、苦しかろうと、こねくりまわしたかろうと 

こねくりまわしても

 

とにかく時の最前線、とにかく眼前

 

でした。

 

 

 

 

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