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2013年10月

心を変えるのではない

とあることで、不安であった時のことです。

不安でいながら、テレビを見ていました。

吉田類の酒場放浪記です。

不安ですが、楽しんでました。

不安な時、テレビを見れば、そりゃ、楽しむ場面もあるだろう。

それは、そうなんですが、不安、でありながら、また、楽しんでいるのです。

ず~と不安なんですが、それはそれとして、楽しんでいたのです。

その自分の姿が不思議でした。

不識さんが言われます

・・・・・

その心のまま、とにかく前向き。

勉強する気がなかっても、とにかくペンを持ってみる。

(正確には覚えておりませんが、意味は間違ってないです)

・・・・・

不安なまま勉強する。

そんなことする気になれないまま、そんなことする。

なれない心は、そのまま。

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勘違い

最初の記事に書いた言葉です。

「最初は「真実」なんてまったく想像も出来ませんでしたが、いろいろな人と知り合い、

離れ、いろいろな宗教の本を読み。

は、は~これだな、真実はってのが分かって来ました。

それは「自分がいると思ってるが、自分なんかいない」ってことでした。」

・・・その、「自分なんかいない」ことを知るのが、目標だったはずなのですが、

いつの間にやら、自分の煩悩ばかり気になって、「これを何とかせねば」

とやっておりました。

「おのずから、知らしめる 信心。すべては弥陀のひとり働きだった」

やさしい・しんらん予備校 井上さん

これを知ることが目標でした。

辛い煩悩が湧くと、ついつい、

「あ〜、辛いな〜、楽にならないかな〜」

内面ばっかり、

不識さん(宇佐療法のブログ)的には

「自己観察しない・自己概念化しない。

自分の状態をチェックしない。」

・・・まったく反面教師状態です。

井上さん

「すべては弥陀のひとり働きによって、

すべては弥陀のひとり働きだった。

と分かる。」

と、してみると。

どのような心が湧こうが、

心に用事なし、です。

弥陀のひとり働きだった。

と分かることですから、どんな心が、煩悩が出ようが、

楽になることでは、ありません。

弥陀のひとり働きだったと、弥陀に教えてもらうことです。

どうやって教えるのかな〜

と思っても、ひとり働き、ですから、どうしようもありません。

何が、何やら、わからんまんま。

何もすることはないのです。

ただ、生活するのみ。

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