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2013年5月

2つの方向

井上さんのホームの記事に

心の働き自体が、心の働きの微妙で自在な活動に惑わされて、そこから少しも出られず、

心の働き・認識・意識の中にあって、意識の内容だけを問題にし続けていたという事に気づ

いたのです。そこで、わたしは、意識の内容など問題とせず、「なにもしない」ことに集中しま

た。」

とあります。

三聖さんのコメントに

「それで、確かに、間違いないですが、・・・「内側」の説明でしょう。

(内も外もないんですが)

それだけ、「内側」に目が行ってしまう。

・・ね。

「内側」に目が行ってしまうも、それもそれでいいんですが、・・

それより、・・・・

>ふと、ポットのコーヒーを入れようと思う。コーヒーの味がする。うまい。

>あ、「隣の屋根に陽が照ってきた!」

このように、

いわゆる「外」のこと、

具体的です。」

と頂きました。

今まで、何度も読み、お話も聞いたのですが、この二つの違った状態

を、今まで、なぜか、気付いていませんでした。

「煩悩そのまま」

に気が行って、

煩悩が通り過ぎる。

煩悩が湧く。

煩悩を見る。

と「煩悩」が付いてしまえば、三聖さんが言われる

「煩悩さんというと・・・

そういう実体があるように思えてくるでしょう。

言葉のはたらき上ね。

そういう不変で固定的な何か固まりのようなもの、

ベースになるものは、考えの中だけにあることを再確認してください。

そういうものがあるという前提があるとしたら・・・あってはなりません。

言葉はあたかも、もとから、そういう前提があるかのように錯覚を起こしやすいんです。」

また

「不変の実体として認めるから、固定的な中心ができ、それを守ろうとすることで、

問題となってくるんでしょう。」

と言われています。

外と内

今の現実

井上さんはホームの冒頭に

「どうしても、どうか(お願いです)「今の身心の状態(本当のこと)」を生きて下さい。

ただ「今」あるだけです。」

と書かれていいます。

本当のこと

は「今」。

それは外向き。

今の様子。

と心の様子。

この違うもの。

方向は定まりました。

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工夫

自分としては、まだ分かったような、分からないようなですが。

三聖さんから「今の連続 ふむ~~~」

にコメントを頂きましたが、記事にした方が良いと思い記事にしました。

三聖さん

自分を取り扱うこと・自分対自分の工夫がないようになさってください

ここで、間違った方向がわかったら、

「前へ前へ」「目の前だ」ということも、その他理解したことも、

棚上げして、・・・

実際です。

ただいま

自分を取り扱う

このブログは、殆どがこれで埋め尽くされています。

三聖さん

繰り返しますが、

考えを先に立てない。

事実がいつも先です。

事実が先にあって、動かされるのです。

ただいま

以前にも「音を聞くほうがまし」と三聖さんの言葉を引用した時に、書いたことが

ありますが。

迷うより、外を走る車の音の方が「マトモ」と言うことです。

三聖さん

工夫するところは、

自分でなくて、

生活上の事、仕事・勉強・研究・・・掃除洗濯の仕方、料理、、、等

ただいま

今日は飲みに行くか!

何を食べようかな~

いやいや、こんなことしていては信心得られないぞ

この仕事、明日までに仕上げるにはどうすればいいかな~

いや~忙しい。

こんなんじゃ落ち着いて心を眺める時間もないな~

ここの青字は「×」と言うことです。

「工夫」はすべて、この世の実際のことに。

と言っても、いろいろと自分へ「工夫」が出て来ますが、

自分への「工夫」を止める。

も自分への「工夫」ですので、

湧いたら、湧いたまま。追っかけない。

と書きましたが、書きながら、納得しながらです。

*****

最初と最後の行は「×」でした。

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今の連続 ふむ〜〜〜・・・・・・

三聖さんとやり取りさせて頂いてから、初めて書かせて頂きます。

「何もしない」「何もしていない」とこの2ヶ月半やってまいりました。

ま〜 この「やってまいりました」がやってるのかも知れません。

今から思えば、何もしないとやっていると、自分の中でストーリーばかり

作っているようです。

確かに飛行機内で何も出来ない時などは、以前より「やらないと」がない無作為な

ため、湧いたことを、自然にそのままにしていたようですが。

三聖さん

心意識のストーリーを作ることから離れることをお勧めします。

(ナラティブセラピーなどありますが・・)

「頭から離れない」「くりかえし出てくる」という言葉で、

ひとつながりの筋書きのある物語をつくらないことです。

井上さんは「前へ、前へ」と言われます。

三聖さん

でた時点で、後追いしなければ、消えていくだけです。

後追いしても実際は消えてるんですが。

ゴ~ンと鳴ったら、それ自体が、とどまっている事はないでしょう。それと同じ。

でたまま、内向きになったら、内向きになったまま、自分対自分になったらなったまま、

そこにさらに、考えを持って、手をつけないで、

ご質問はご質問のまま、あるいは背中にしょったまま、あるいは同化したまま、

手をつける・つけないということも忘れ、・・・

考えより前にある、実際の、言わば、「目の前」です。

目の前に、もうすでに関わったままですからそのはたらきにまかせて動かされるのです

ね。

ただいま

何がでても、前へ、「目の前」。

ただ、もうすでに関わったままですからそのはたらきにまかせて

動かされてるのですね。

ここは「分かってみれば」

と思います。

ともかく

真実のことは何も忘れて、湧いても、そのまま

ただ真っ直ぐ進むのみです。

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