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2013年2月

なにもしない

ここのところ大きな変換をしました。

今までは「時の流れだ!頭の風通しだ!」と

それを維持することに一生懸命でしたが・・・

先週から、もうやめようと、ふと思いました。

で、何もしないことにしました。

その辺を やさしい・しんらん予備校井上さんとのメールから・・・

・・・心が騒いでいる時、パソコンでメールを書いていて没頭している時、

ふと戻ると、その騒がしい心を感じて(認識)いなかった、という状態があります。

井上 さんが言われるように、風通し!、遅れない!前へ!とやっている我には、

問題意識があります。が、メールに没頭している時は、問題意識はありません。

では、この問題意識を持った状態をどうしてやるか。

自分の力で没頭したり、煩悩を感じたりは出来ません。

ただ、ただ 前へと進むのみです。

■そうです。ただ、前へ、前へです。常に新しく、常に目の前の事をタンタンと、

やるだけです。

 
・・・昨日より信心について、「こうか?ああか?」は一切止めようと思い、

それを実行しています。

なので、現時点では「前へ!」「風通し!」は意識していません。

そのまま」も「風通し」もありません。ただ、することをしているだけです。

「脳みその働きのまま」と意識しないで「脳みその働きのままと思います。

■「脳みその働きのまま」と意識しないで「脳みその働きのまま」これです。

れです。継続ですね。

・・・「信心を求めるために判断しない」を始めまして、何が変わったかと言いますと、

頭の風通しが悪い状態(井上さんの言われる、すでに信心を得た状態)から

頭の風通しの良い状態に戻った時、

以前でしたら「こりゃダメだ、遅れていては悟れないそ、遅れないようにやらなければ、

ではどうすれば・・・」とやっていたのが、

頭の風通しの悪い状態から戻った時「あ、遅れていたか・・・」で終わります。

自分の中で、こと信心について、ああだ、こうだ、ははぼなくなりました。

もちろん「こんなのでいいかな・・・」とか出てきますが、そのまま放っております。

しかし、たまに考えたりしてますが、以前のように必死ではないです。

とにかく、頭の風通しの良い状態の時に「これでいいのか」が出て来ます。

風通しの悪い時には出ません・・・と言うか、それすら意識していません。

■風通しの悪い時、良い時。かまわず、そのままあるがままです。

意識していな い時こそ、そのままあるがままなのです。

・・・風通しが良くない状態の時は、自然にそのままですから、自分に左右出来ません。

風通しの良い状態の時、にどうあるかです。

書きましたように、良くない状態から良い状態に戻った時、「あ!遅れてた!」

じたばたしない。

風通しが悪い状態から自然に(無作為に)風通しが良くなるように、

その自然なまま、風通しが良い状態をそのままにしておくことです。

■そうです。継続ですね。

・・・「?」は最近は全く相手にしていませんので大丈夫です。

湧いてもすぐに切れて行きます。

「ほんまに何もしなくていいのか?」と湧いては来ますが、それで終わりです。

掛け合いにはなりません。

今やることを、やりたいことをやってるだけです。

が、これが、なんと なく頼りない感じです。

■なんとなく頼りない感じかも知れませんが、内心にはふかく、聞法を心がけて いけば、い

いです。忘れず、心がけて、しかも、タンタンと、先に進む。これで す。継続ですね。

。。。と書いて来ましたようにやっています。

今まで、この20年、何かをしようとしていました。

井上さんと知り合ってからも、「頭の風通し!」と、その維持のためにやって来ました。

ま、そんなこと考えないでやる気のない時期もありました。

が、自分が維持しようとしていた、正解だと思ってた状態(頭の風通しが良い)

が、実は問題でした。

以前から「頭の風通しの悪い状態がご信心です」と言われることがありましたが、

「頭の風通しの良い状態」を維持しようとやってるのに、何を言い出すんだろうと

思ってました。

以前書きました三聖さんは

自分が自分に工夫しようがやんでいるから、(たとえば「今に乗る」をしようがやんでいるか

ら、今に乗れているかどうかも)わからない。忘れている。

人と話して、外向きだから。と同時に結果として、

自分の事ほったらかし状態が知らずに成立。・・・そこです。

知らないうちに神経症から離れているんです。

この瞬間を神経症関連用語で強いて言えば「全治」と呼んでいるんです。

別にそんな特別な状態なんかないんですが。

こういうおかげ(神経症という法門)で、・・しようとする以前に、

本人納得しようがしまいがいつでも「今」、「あるがまま」ということです。

だから、「しようとする」がやんだら、な~んだ、これまでどおりと気づく。

気づくことも余計なくらい。・・だれにおしえられなくとも、外向き、目の前、当たり前

・・・に収まるということです。

書かれています。 

自分が認識していて、「自分の力で何とか」とやっているところは、正解ではなく、

「自分の力で何とか」も思わない、思えないところが、すでに、そのまま、あるがまま

と言うことです。

そのためには、何もしない。

悟り、信心のことは考えず。湧いてもそのまま、相手にしない。時の流れに流す。

常にタンタンと目の前のことをやるだけです・・・井上さん

外向き、目の前、当たり前・・・三聖さん

しかし、

内心にはふかく、聞法を心がけて・・・井上さん

ただ、単に普通の生活を心がけるが、内心には菩提心(強く求めるこころのこと)

と言うことのようです。

これからはコメントを頂こうと、ふと思いました。

よろしくお願いします。

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流れ 井上さんへのメールから

昨日,知り合いの女性の方に偶然会った時のことです。

この方は、私より2歳年上でした。

久しぶりに見たその方のお顔は思ったより老けて見えました。

と、その時、この方の思っている「私」は段々と年老いて行くけれど、

その年老いて行く姿を見ながら「シワが増えたな?」と思っている

「私」は「透明な中に色々な想いが浮かんでは消えていく」場、

として「ある」んだな〜

この世界は、みんな意識していないが、万国共通、白人、黒人、ヤクザ、総理大臣、

みんなに共通してある「私」なんだな?と感じました。

そしてその「場」は二十歳の時も、今も、同じ「場」として「私」にあります。

あると言うより、その「場」が本物であり、意識ですが、

みんな肉体が自分と思っているだけです。

そうしますと、「頭の風通し」これが、この「場」となりますが

「頭」ではなく「私」として「風通しの良いところ」に「想いが浮かぶ」

その有様の「意識」が「事実」としての私であると感じます。

綺麗な女性を見て「いいな?」と思うのも「女性」から「きれいオーラ」が出て、

それを感じているのでなく、自分の「透明な意識の中に「いいな?」が浮かんでくる」

だけです。女性にはなんの意味もありません。

「頭の風通し」ではなく「私は風通しのよい場」となりますと、

より自然に維持しやすくなったように思います。

この数日後、やさしい・しんらん予備校井上さんとお会いしてお話をしました。

井上さん「その風通しの良い、と言っても、まだ透明!でないでしょう」

私「はい、私がいます。見ている私がいます」

井上さん「その私がない状態にならないといけません。忘れていても風通しの良い状態

が、それです。

実は、その風通しの流れ、この流れが『ダンマ』であり『救い』であり。

その流れをもっと大きくして行くことです。

小さな小川に飛び込めば、大騒ぎが起きますが、大きな川に飛び込んでも、どうってことな

い、です。

煩悩はいくら湧いても、また煩悩さんが騒いでる、程にしか感じなくなります。

今は、その流れを大きく、忘れていても出来るようにすることです」

今までは、風通しを良くすることに苦労して来ましたが、この時からは苦労なくすることが

出来ます。

スイッチを入れ替える感じです。

この流れを、より大きなものにして行くことです。

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