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2013年1月

罪の算段

浄土真宗の敬虔な信者のことを妙好人と言い

その一人に浅原才一がいます。

彼の詩に次のようなものがあります。

出て行く後生を 
疑いと自力

これが邪魔もの 
罪の算段無用なり
罪の算段する人は 

方角違えて地獄に落ちる 

罪の算段とは、自分の煩悩を算段することです。

「あ〜こんな心が」

「どうしてこんなこと考えるのかな〜」

と自分で自分の心を計っています。

が、最近は、この算段とは、こんな心が、と自分の心を計ることだけでなく

自分が、ことこの道において考えること全てを指しているように思います。

「そうか!今の感触か」

「自分などいない? どうやったらそれが分かるのだ?」

自分に湧いてくること、すべて方角違いです。

ただ今のことをする

頭の風通しを良くする

前へ前へと進むところ

これは状態のことです。

自分の状態をどのように保っているかです。

「心に用事なし」宇佐先生

心はどんなになっていても関係ないのです。

この状態を保つことのみが方角です。

「どうして長続きしないのか」が出れば

そのまま出しておけばいいのです。

その答えはありません。

この道に答えはありません。

聞いた言葉は、そのまま捨てて

本を読むのもモチベーションのためだけ。

それ以上の意味はありません。

方角違いで何年経ったやら

やっとこの辺が分かって来ました。

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目の前のことをする

先日、煩悩が波立つ時がありました。

今まででしたら、「こんな心が」とか「楽になれんな〜」が言葉が出たり、

その心によって「動かされ」たり、「そのままか〜」と思ったりでした。

その時、宇佐先生の本を読もうと思っていたので、とにかく読んでみました

波立つ煩悩に、読む気にも、読んでいる気にもならない中、

一字一句を踏みしめるように読みました。

え!「波立つ煩悩」が確かに感じてはいるのですが、「意識」が読むこと

に一生懸命なんで、殆ど感じなくなっているのです。

が、その波立つ煩悩に意識が向かうと、波が大きくなります。

「目の前のことをする」とはこう言うことか。

と思いました。

前回の記事で不安を抱えてゴルフをすることを書きましたが、

ナイシュショットの瞬間は、確かに不安は殆ど感じれれなくなっているのではと

思いました。

が、その波立っていた煩悩もやがて静まり、

ん?! あの時の感じはどこへ行ったんだ?

こんなことなら常に煩悩が涙っていてくれたらいいのにな〜

なんて思いました。

翌日、自室で本を読んでました。

嫁が、電話が掛かって来たと、私の携帯を持って来ました。

ちょっとしたトラブルの電話でした。

電話をしている最中から煩悩が波立っています。

電話を終わり、意識がフル回転して言葉で合理化しようと動きます。

しかし、その時、本を読むことに、とにかく集中しました。

すると、前回のように波立つ煩悩が、ほんの少し感じられるだけになりました。

「意識」だな〜と思いました。

「波立つ煩悩」から意識がなくなっているのです。

「煩悩を放っておく」「相手にしない」「そのままにする」とは

煩悩のことに意識が行かないことなんだと思いました。

「放っておくか!」と思っているうちは、煩悩を意識しています。

嫌な奴が来ると、完全に意識します。

そして、その後ろにいた普通の友達は見えているのに意識していないようなものです。

そこに絶世の美女が現れれば、嫌な友達から意識が移り、

その女性が通り過ぎるまでは忘れているかも知れません。

その「意識」を前に、前に、今のことに集中する。

ゆっくりと一字一句ゆっくりと本を読む。

ネットをする時も、ゆっくりとする。

少し煩悩が波立つ時には、何かをする。

そうしていれば、波立つ煩悩がなくても、神経症でなくても

宇佐先生が言われることが行えます。

そこに次第に「意識する」そのものを感じてきます。

意識するそのものになっていれば、煩悩は関係ない、となります。

が、この辺は、まだ途上です。

昨日、やさしい・しんらん予備校井上さんへ送ったメールです。

「煩悩をそのままにする」「煩悩を相手にしない」「煩悩を放っておく」「煩悩になっている」

と言葉ではいろいろ言いますが「煩悩を」と「を」が付いてしまうと「煩悩」が残ってしまいま

す。

目の前にある花瓶に目を取られていたら、すぐ横にあったお菓子に気が付かず、

ふと目が行って、お菓子もあったのか~となります。

その時「お菓子は放っておかれた」訳です。

ここのところを感じますと、この「意識する」「気が付く」とはなんだ?

となります。時の最前線にあって、そのままになる所に居ると、

そこは、意識すること、そのものになります。

それは、「目の前のことをする」と言う単純な生活にも現れます。

一見「目の前のことをする」では「そんなことなら、以前の何にも変わってないじゃないか」

「そんなことで悟りか?」と思うでしょうが、

実は人は、目の前のことすらちゃんと出来ていないのです。

洗濯をしながらも、今晩の夕食のことを考えています。

その時、その時、することに成りきっていれば、それが「ただ洗濯をする」となり、

我が煩悩は存在しながら気に掛けてもらえない存在になります。

「どうしたら悟れるのか?」と気にしていた「どうやったら」すら「悟り」すらありません。

そして、我が煩悩は、あっても邪魔にならないものになります。

今は、この「ただ意識している」ことに徹するようにとやっています。」

井上さんからは

「「ただ意識している」ことに徹すること、大切ですね。続けて下さい。

続けて「ただ意識している」ことに徹するとどうなるか?

また、教えて下さい」

と返信が来ました。

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明けましておめでとう御座います

最近、森田療法の継承者であります宇佐晋一先生に関することを書いておりますが、

今回も。

続あるがままの世界の共著である木下勇作さんの聴聞記より

「森田神経質の人々はえてして、(清沢)満之の嘆きを誘うような言辞を弄して

晋一先生を困惑させてしまうことが多々ある。

が、小生が思うに森田神経質の人々は一時、晋一先生を困らせたり、満之が冥途で目を

剥いていていようが、それは満之の世界に到達する陣痛のようなもので、やがて満之の

世界にいざなわれる選ばれた人間に思える。」

選ばれた人、と書いてありますと、一般人は選ばれてないのかと考えてしまいます。

確かに、信心を得ようとも思わない人は選ばれてはいないでしょう。

信心を得たいと思うことが、「自己矛盾」を感じていると言うことですから。

ブログに書いたことがあるか忘れましたが、私は、やさしい・しんらん予備校井上さん

と知り合う前の数年間、秋〜冬に掛けてとても不安になる時期がありました。

秋になり陽が短くなってくると、この世の無情感をとてもひしひしと感じ

不安でいっぱいになります。

とにかく、家に居るのが一番安心でき、仕方なく仕事へは行くものの、

終われば速攻家へ帰って来ます。で、何をするかと言うと、

何もせず、ソファーや自分の布団にじっとうずくまっていました。

とにかく不安でした。が。春になると、不思議と治るのです。

それを何年か繰り返した頃、井上さんと知り合い、それからは起きなくなりました。

仕事も何とか出来る程度で、これが神経症と呼ばれるものかは分かりませんが、

常に心には「不安」がありました。

宇佐先生的に言えば「その不安な心に用事なし、そのまま仕事、誘われれば飲み、

ゴルフ、そのまま前進」と言えると思います。

が、とても飲み、ゴルフなんて出来る気分じゃありませんでした。

周囲との関係もとても冷え込んでいました。

が、宇佐先生の言葉を知っていれば、

とても出来ない、その心のまま、誘われればゴルフへ行く。

一刻でも家に居たいのに、居れるその休日に、家を出かけるなんて考えられません。

自ら地獄へ行くようなものです。

しかし、それをしなさい。と言われるのでしょう。

そして、その「不安」なまま行動する。

ティーアップをし、球を打つ。

その時「不安」をどうしているか。

おそらく「相手にしてないでしょう」

ず〜と不安はあります。なくなりません。

その、不安を忘れていた、と言う時が、全治(あるがまま)なのだと思います。

おそらく、その繰り返しによって、全治がしっかりとしたものになるのでしょう。

間違っておりましたら、すみません。

が、今の私には「不安」がありません。一般の人が感じるよりは感じていると思いますが・・・

「信心を得たい」その心、そのままに信心を得ることが出来ると言いますが、

「信心を得たい」「どうやったら」

ではなく「信心を得たい」その心そのままに、普通の生活をする。

実際はそんなにうまく行くものではありませんが。

「どうやったら」の連続です。

が「心に用事なし」。

でも、牛歩の私には、この「信心を!!」と言う心が、振り払っても張り付いているような

心がありません。過去にそんな時期もありましたが。

しかし、「信心は得たい」です。全く中途半端ですが、でもこれで行かないと仕方ないです。

井上さんが「その、煩悩が自動的に切れていく状態(頭の風通しの良い状態)を忘れて

いるのにやっているようになりましょう」と言われます。

このことが「不安」なままナイスショット!!

と繋がるのだと思います。

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