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2012年8月

今の瞬間

これと言って「おっ!」と言ったことのない日々ですが、

以前との違いは感じながら進んでおります。

もう15年くらい前に買った「今の瞬間」と言う本(女子パウロ会)を読んでみました。

ー「今」の瞬間を生きることー

このような勧めは意外なこと、または矛盾していることだと思われるかもしれません。

「今」とは、それ自身、わたしたちが置かれている「時」の一部分を定義するものではないの

しょうか?

けれども、よく考えてみると、わたしたちは自分が生きているこの今にほとんど重きをおい

いないことに気づきます。

「今」の瞬間は、過去と未来という二つの大きな現実に挟まれた、微小で、か弱く把握しにく

ものなのです。

年齢や気質、性格の傾向などによって、人は多かれ少なかれ未来の夢にとりつかれたた

り過去に屈み込んだりしています。

若者が未来を夢見ながら生き、念入りに作り上げた計画を実現しようとしているとき、

彼のおじいさんは過ぎ去った過去に思いをはせているかもしれません。

わたしたちは今の瞬間を正当に評価することがないのです。

懐かしい過去を奪い去るもの、待ち望んでいる未来を隠すものとしてしか見ていないのか

もしれません。

わたしたちは過ぎてしまうと急いで取り戻したくなり、つかむことのできる唯一の「今」には、

その本来の姿や、本来の価値を与えず、それが結ぶ実を結ばせないのです。

「今」が自分の手の中にあるとき、わたしたちは自分なりの時間の継続の観念の中に落ち

込んでそこで生きてしまうのです。

ー「今」の瞬間の重要性ー

過去はもはやわたくしたちには属せず、未来も未知なのですから、「今」だけがわたしたち

の富なのです。それだけが、わたしが影響を与えることのできる、「時」の一部分です。

過去もみらいもわたしたちの手の中にはなく、「今」だけが少し自分のものだといえるから

です。

「今」は無限の美の素晴らしさを受け入れさせるために、わたしたちの行為や考え、計画の

連鎖を作り上げているものからわたしたちを離れさせようとしています。

人間的な見地から見た重要性のほかに、キリスト教的(真理)・・・ただいま注)な見地から

見ると「今」は、はるかに大きな重要性をもっているのではないでしょうか?

神はわたしたちが「今」に生きること、明日のことを心配せずに今彼のもとに行くことを望ま

れます。

それゆえ、キリスト者のプログラムは、過ぎていく各瞬間を完全に生き、それを愛でみたす

ことなのです。

やさしい・しんらん予備校井上さんも次のように書いておられます。

どうしても、どうか(お願いです)「今の身心の状態(本当のこと)」を生きて下さい。

ただ「今」あるだけです。

この方法で、いいのかなあ?と思ったら、その思い、その思いがわいている

「今の状態」を維持するのです。

方法もなにも、ただ、あるだけです。本当のことは、その思い以前にあるのですから。

つい、湧いてくる煩悩に注意が行って「このままだ」とか「流さないと」とか「もっとしっかりし

た心持ちになるのかな」とか考えてしまいます。

盆前に、井上さんに「理解した人には「もうどう転んでも良い、もう大丈夫だ」と言う心があり

ますが、私には「不安」しかありません」とメールしましたら、

その「不安」が「安心」になるのではなく、『その「不安」のままおれる』ところが「安心」なので

す。

と返信があり「そうだった」と思いました。

ついついこの心がどうかなって、これからどうかなって、と思っていました。

その心が、そのままでおれるところが「もう大丈夫」でした。

このメールの後で「今の瞬間」を読み

湧いて来る煩悩に気を取られることなく「今」を生きることだと再確認しました。

「今」とは「今」とはと思った、その時です。

その時は「今」にいます。

「分からん」が出たら、その心をそのままに出来るところです。

「今の瞬間」にもう一つ大切なことを見つけました。

ー希望ー

希望は、わたしたちに神の信頼を与え「今」の瞬間にしっかり立たせてくれます。過去の重

荷や未来の不安を投げ捨てさせ、神を見つけることができる「今」に落ち着かせてくれるの

です。

希望はわたしたちを過去の重圧から解放してくれます。

たびたびこの過去は魂を固定観念で縛りつけ、現在の上に重くのしかかり、ときには人が

気づかないうちに良心の心の中にすこしずつしみ込んでいくものです。

ですから、「今」を生きたいと望む人にとって、希望はなくてはならない徳なのです。

未来の苦しみについても、晴れやかな心でこれを予想させるのは、これまた希望です。

鬱陶しい亭主さんも「これで良いのか?」と言う心が何度も湧いてきます。

と言われています。

本当にこの道は不安です。一度も通ったことのない道だからです。

「自分にはダメなんじゃないか」と湧いてきます。

この道に入る前は気にしなかったような過去の出来事や、未来の心配は

「必ず「もうどう転んでも良い」と思えるようになれる」と希望を持って進むことも

大切だと感じました。

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やっと動いてきたか

今日から盆休みです。

前回書いたように、ここのところ違って来ました。

維持時間が増えた、すぐにその状態になれる。

まだまだ認識出来ていない時はありますが、違います。

今日から5日間日本を北へ南へうろうろしますが、

継続出来るようにやるだけです。

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1+1=

最近、すこし違って来たと感じています。

そのきっかけは

鬱陶しい亭主さんの「1+1=] の記事でした。

それは、「目的地」 と同じなんですが、

「?」をそのままにする。

分かってはいましたが、迷ってました。

「?」をできるところです。

クイズ番組で「正解はコマーシャルの後で」と言われて、

その時プチッとスイッチを切ったら、そこに残る感覚です。

それをそのままに出来るところ。

分かっていながら迷ってました。

ここに落ち着いてから、ううろうろとさまよい出る自分の方向と、

そんな時に戻す方向(?を?と出来る)が分かって来ました。

自分としては一皮剥けた感じかしています。

ここの継続です。

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