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2012年5月

一本の道

とあることがきっかけで、この世、いつまでたってもなくならい戦争。

交通事故による多数の死者。通り魔。幼児虐待・・・・・

こんなことが実際に起こっている、この自分が存在している、

この世が本当のものなのか?「真実」とはもっと全うな、整った、なにかそんな

「真実」があるのではないのだろうか?!!!

と思い、全く何も分からないまま色々な本を読んでいるうちに

やっぱり「真実」はあるんだ、あったんだ。

と思うようになりました。

仏教にも、キリスト教にも、イスラム教にも、ヒンズー教にも、

同じことが書かれて、と言うか、あるところまで到達すれば

同じことを書いていることが分かったからでした。

自爆テロで天国行けるなんて考えは書いてありません。

苦行で悟れるなんて書いてありません。

もちろんお布施の額で極楽へ行けるなんても書いてありません。

葬式の坊主のお経で行けるとも書いてありません。

書かれていたことは

「私がいると思っている」「私がしている」

これが錯覚であると言う事実。

すべてに書かれてありました。

では、どうすれば自分も錯覚から目を覚ますことができるのか?

ここにはいろいろ遠回りして随分時間がかかりました。

やさしい・しんらん予備校井上さんのホームページを見て、

なんとなく、どうすれば良いのかが分かりました。

しかし、それからも「ああでも、こうでも」の連続でした。

また10年と言う歳月が経っていました。

ころブログを書き出しまして1年半が過ぎようとしています。

が、最近は「こうすれば」がなんとか分かるようにはなって来ました。

その一本の道が。

しかし、その分かるようで分からない一本の道は、

やはり渡るにはとても困難がいるようです。

その一本の道とは。

以前読んだキリスト教の本に

神様は何も出来ない赤子が、そのままじっとしていれば、神様の方から

正しい道へ導いてくれるのに、母親の胸でバタバタとしているから、

正しい道へ導いてあげることが出来ない。

正確には覚えてないので。およそこんな意味です。

じゃ、じっとしていろってことか?

そう思いながらバタバタとやり続けているのが今の自分です。

何もしない

井上さんのページにも書かれています。

観察する

鬱陶しい亭主さんのページに書かれています。

何もしないとは?観察するとは?

と、また赤子が動いています。

何もしないとは、何もしないのです。

観察するとは、すでに観察しているのです。

今更、やることなどない、出来ない、から

赤子はじっとしているだけです。

そうすればエスカレーターに乗っているように一本の道を渡れる

のです。

しかし、私はまだ渡れません。

曲名は忘れましたが、誰かの歌に「力を抜いて~!」

なんてのがありましたが、

そこなんでしょう。

こんな状態であります。

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やることは1つなのだが

連休がありますと、またばたばたとして、なかなか落ち着けないもので

御座います。

最近は「どうやったら?」などはあまりないのですが、

とにかく湧く「煩悩」を相手にしない。

相手にしないと書きますと「相手にしない」と黙殺するようですが、

煩悩のままに動きたければ動く。煩悩を放っておくならそうする。

「認識」する、しよう、の一歩先をと心がけています。

好きな女性と付き合うにはどうするか、

若いころは一生懸命考えたものです。友人にも相談しました。

しかし、こと「信心」「悟り」においては「どうやったら?」は「ない」ところへは

落ち着いてきたように思います。

「助かってみれば、助かることもいらなかった」

と言う言葉がありますが、すでに「信心」「悟り」の中にいるのに

1人もがいている状態です。(私を含めてすべての人が)

その「すでに」を体得すれば、よいのですが、

では「どうするか」。

どうする。はないのですから、煩悩が湧いて来る「場」

「スクリーン」「時の流れ」

この維持だけと感じています。

しかし、悪癖は堅いうろこのように自分を覆っています。

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