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2012年1月

煩悩さんと仲良く

やさしい・しんらん予備校井上さんとのメールです。

私  

     「我(われ)」が「何かをする」。    

     では「何もしていない」とは。 

     それは、力(これが我)が抜けた時、そこに感じる時の流れ。    

     流れに乗っていれば、我が出てきても、出ては消え、出ては消え。     

     これに似た感じは今までにもありましたが、   

     これほど理解出来て、再現出来ることは初めてです。継続です。

井上さん 

     それでいいです。「我」は、出るようになっているのです。人間の身体   
    

     は。継続ですね。

半日後に送ったメールです。

私 

    おそらく数か月以内のメールで「そのためには    

    煩悩さんと仲 良くする」 と言うのがありました。

    その時は、ハッキリと意味は分からなかったのですが

    「そのままにする こと」かな~くらいでした。   

    昨日メールした状態を維持していましたら

    「煩悩さんと仲良くする」の意味が分かりました。

     煩悩に煩悩で対抗していたのが今までの我です

    盤珪禅師が「煩悩を無くそうとする のは、血で、血の付いた皿を洗  

    うようなものだ」と言われたことと同じです。

    湧く煩悩に「我」がすぐ動きます。

    そこで止まって、我と我がケンカして ウンウンと唸っているの

    が人間の実情です。

    昨日のメールのように、状態に乗っていれば、

   煩悩は湧いたがまま。少し気になって我が出ようとすれば出たまま。

   晩飯は?が出れば、そ のままスルーしようと、何にしようか考えようと、

   その時のまま。これが煩悩さんと 仲良くするです。  

井上さん

    何にしようか考えようと、その時のまま。これが煩悩さんと 仲良くする 

    です。これです。煩悩は湧いている「だけ」なのですから。 継続ですね。

 
今は2通目のメールを送って5時間ほど経っていますが、

明らかに何かが変わって来ました。

以前のように「やる!」はないのです。

不思議に乗れている。「状態」を保っている。

今まで、ああだ、こうだとやったのは何だったのか。

と思います。

が、常時ではないようです。

「出来ているか?」と思う心も脳みその働きの1つ。

「何が食べたい?」と違いはありません。

時間が経つと、またどうなるか分かりませんが、力の抜き具合が

分かったようで、今までとは違うように思います。

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きな臭いやつ

どうも、何か、スッキリ・・・しない。

「やろう」とする時「やろうとする奴がいる」

我(われ)がいるのだ。

我が乗っかってれば、それは「作業」ではなく、悪循環でしかない。

以前にも書きましたが、

「悟ろうと思わなければ悟れないが、悟ろうと思っているうちは悟れない」

ここです。

では、どうするか?

と思う間もなく「どうするか?」を「作業の場」に乗せる。

どうするか?と、どうにかしようとする我を、思考の根元を乗せる。

やさしい・しんらん予備校井上さんが言われた

「脳みその働きのまま」

ここに徹するのはまだですが、雰囲気は分かったような気がします。

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動くな

最近の感覚としては「状態」にいる感覚が深まってきたように思い

す。

もう少し深めて行けば長時間の持続も可能ではないかと。

1人で他との交渉(人間その他パソコンも含め)

がない時は、ある程度の時間持続出来ています。

今までの欠点は、上手く出来た時は、それなりに出来ていたと、

大きく誤ってはいなかったと思います。

が、毎日それが続くわけではありません。

良いのは短期間です。

すぐにダメな状態になります(私の場合)

そこで「どうもうまく行かんな~。どこか悪いのかな~」

と始まって、思考が回転し、底なし沼へ落ちて

おりました。

上手く行かない時も、何がなんだか分からない時も、

とにかく「動かない」

その状態に耐えることだと思います。

わけが分からなくなったら

「俺は迷ってない・・・俺は迷ってない・・・」と頭の中で

繰り返しでも

「なんまんだぶ・・・なんまんだぶ・・・」でも

「ピンピキピン・・・ペンペンペン・・・ソンソラソン・・・」でも

声に出しても良いと思います。

とにかく思考の底なし沼にはまると、同じことの繰り返し

を延々と続けてしまいます。

それがこれまでの1年の経過です。

と、思ってる私です。

継続します。

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繰り返す?

今日はゴルフでした。

以前にも書きましたが、「構えて、自分のボールを打つ」

この間、「状態の維持(そのままになる)」をしようと思いますが、

構える前には「よし、今度こそ」と思うのですが・・・・・

結局、1回(1打)のみ出来ただけでした。

その途中はある程度出来る(出来てないことも多いいが)のですが、

ここが難しいです。

しかし、今回は「状態の維持」にのみに、とにかく的を絞って

やっておりますので、何か平生でも違う感覚を感じています。

以前にも書きましたが、やさしい・しんらん予備校井上さんから

頂いたことば

「煩悩を観察する、感じる、見るとは、ああ これで良いかとか

ああ だめだとか 状態を自分で意識してしまうと、

依然として自分と言うものが残って、自分と言うものがあって

そう言う状態をみているということです。

経験した、体験した状態と言うものを認める自分があるからだめなのです。

進歩がないのです。

これは無我、信心の真っ只中とは言えません。

いったん経験したもの、体験したものは、捨てていかなければなりません。

常に新しく「今」をそのままにです。

出てくる思いは、出てくるだけの働きがあるだけです。」

ちょっと探してみました「マジ」に書いてました。

なんか、分かったようなことを書いておりますが、

これから9ヶ月も経っております。

なんでこれだけ分かったようなことを書いて、また迷うのか。

何個か記事を読んでみましたが、「分かった」と書きながらだらだら

と進んでいます。

「弄りまわさない」と書きながら、その罠に落ちて弄りまわしているのです。

「出来ている」と思っている自分「出来ない」と言う自分が残っており、

その時、その時の自分の状態を判断して、採点して進んでいます。

確かに、今もどれくらい出来た。今日は出来なかった。と思いますが、

「今」出来ているか、「今」「今」におれるか。とやっているように思います。

どうしてボールを打つ瞬間は出来ないのだろう?とかは

今は考えません。

横で嫁が韓流ドラマを見ていますが、記事を書きながら前のテレビ

が「そのままに」なっているかだけに焦点があります。

テレビからの奇声が聞こえ、それに自動的に反応する自分の心が

見て、消えて行くこと、その今におれるようにしています。

それと「情けない心」が湧いても、どうして?まだ気になる、とか、

湧く心を判断しないようになって来ました。

本当に人には言えないようなことを考えてしまいます。

が、そいつは、そいつで、勝手にさせておかないとしょうがない

と言う感じになって来たと言うことでしょうか。

もう少し継続しましょう。

また、ああだ、こうだが始まって、調子悪いです。進歩ありません。

が繰り返しているかも知れません。

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格闘技

連休は沖縄へ行っておりました。

ゴルフでの「状態の維持」は2日目の方が出来ました。

私が、やさしい・しんらん予備校井上さんとメールでのやり取りを始めました

10年ほど前の初期のメールに「これは、まさに格闘技です」と言うのが

ありました。

そう感じたこともあったかと思いますが、

結局「ああだ、こうだ、ああか?こうか?」

の繰り返しであった今までの期間は、忘れていた言葉でした。

帰ってやっておりますと「状態である」と「状態でない」のどちらかに

なりますので、この「状態の維持」は「状態でない」と言う方向へ

戻ろうとする、今までの染み付いた悪習慣との闘いのように

感じています。

もちろん負けていることが多いですが。

そこの「差」と言うものがハッキリしてきたように感じています。

継続します。

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状態の維持

昨日からは、特に力を入れて「状態」の維持をやっています。

「状態」とは「ああだ、こうだ」に巻き込まれていない状態の維持です。

まだまだすぐに巻き込まれてしまいますが、ここ一つ決まったように

思います。

もうこれしか残っていない、これ以外では、また同じことの繰り返しだ。

です。

「そんなことして、本当に合ってるのか?悟れんぞ」と心が湧いても、

守るべきは「そうだな~、やっぱり間違えてるのかな~」と

循環するのではなく、そこから離れた状態の維持です。

10月にも同じような感じになりながら、まだ徹底していないためか、

またもや循環の罠に陥っていました。

今回はそうはさせません。と、やっています。

明日からゴルフ仲間と沖縄へ行って来ます。

そんな時でも、守るべきは「状態の維持」を、忘れては、やり、忘れては

やり、でやってきます。

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あけましておめでとうございます2

程書きました文章を読んでおりまして、

ふと思いました。

井上さんが

「これで良いか、これで良いか」

「問うて、問うて行くのです」 

と何度かメールに書かれました。

最初のうちは、自分の状態を確認しながら進んで行くことと思ってましたが、

ある時のメールから「問う」「問う」「?」「?」を繰り返すことと知りました。

「これで良いか?」

分かりません。自転車がどれで、乗れてるのがなんだか分からないのですから、

自分の状態なんて分かりません。

「これで良いか?」は

先程の

「状態とは・・・?」

と同じです。

その「?」をそのままにすることで、

「問うて 問うて」はそこの状態の確認と思います。

「このままでいいのか?」

「こんな俺では・・・」

結論の無いものをそのままにしていく訓練であります。

やはり、書くは易く行うはかたし

でありますが・・・

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あけましておめでとうございます

実は、「あけましておめでとうございます2」がふっと湧いて、

すぐ記事を書こうとしたことに気付き、やっぱりそうでした。

「あけましておめでとうございます」の記事を保存せずに移動してました。

消えていました(p´□`q)゜o。。

同じ文章になりませんが、力を出して再度書いてみます。

あけましておめでとうございます。

今年こそはと思う次第です(これの繰り返しですが)

年は進んで行きますが、私の寿命は縮んでいきます。

悟りが先が、命が・・・

新年は昨日まで、家で過ごし、忙しかった年末よりは出来ました。

が、これと言ったものは。

以前のように、これと言ったものがないと書かないのでは、間が空いてしまいますので、

書いています。

「ああだ、こうだ」

「湧いてくる、ため息の出るような情けない煩悩」

「ほんまに悟れるんやろか?」

・・・・・・・

とやっていたのでは、ダメだと言うことです。

「なにものにも思いをとどめない状態の維持」やさしい・しんらん予備校井上さん

「「あるがまま・そのまま」が始まれば後はまずまず大丈夫」鬱陶しい亭主さん

やることは「状態」の維持であることは分かって来ました。

一人、座椅子に座って・・・

これから、ではなく、すでにその状態であることです。

鬱陶しい亭主さん「第105話の補足

「ピュアに悩む」という意味は「苦悩A」を徹底して

「苦悩A」のままにしておくことに他なりません。

苦悩を解消しようとしてジタバタしてはならないのです。

おそらく「あるがまま・そのまま」ができないとおっしゃるのは

「苦悩A」を弄り回して「苦悩B」にし更に「苦悩C」へ「苦悩D」へと

変えていってしまうからではないでしょうか。

それではいつまでたっても転変を繰り返すばかりで

落ち着き先はどこにもないであろうと思います。」

引用終わり。

「状態とは・・・・」

をそのままに。

書くは易く行うは難し。

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