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2011年12月

自転車3

年末になりますと、忘年会やら仕事やらで気忙しくなります。

なことが理由にはならないのですが、この数日は調子悪かったです。

自転車に乗ろうとするのですが、それを無視するかのように実生活で

仕事!飲み!後は寝るだけ。

やっと昨日で仕事も終わり、4日からの仕事初めまでゴルフも行かず、

家にて集中してやりたいと思って・・・

「掃除するからどこか行って来い」とか嫁に言われながら

この数日よりは集中してやれました。

少し良くなった感じです。

鬱陶しい亭主さん況報告」に

「「あるがまま・そのまま」が始まれば後はまずまず大丈夫」とあります。

自転車に乗ってしまえば後はまずまず大丈夫、と読み替えてみます。

一瞬乗れたのでは、すぐに倒れてしまいます。

これでは大丈夫なんてなりません。

乗り続けている。乗り続けていれれば良いわけです。

その状態が「維持」されていなければいけません。

そのためには、自転車に乗れていると思う、程度でなく、

自転車に乗れたぞ、倒れないじゃないか。と言う状態がなければ

いけません。

このブログに書いているか覚えてませんが、私も2年半前にこんな感じを

経験したことがあります。

休憩時間に作業しておりますと「ふと、気が付くと、あれ、不思議、倒れないじ

ゃないか」と言う状態に入りました。

倒れようにもそうできないのです。自転車から降りられないのです。

仕事が始まり、次第にその感覚は分からなくなりました。

そう言う意味では「乗れてしまえば」の状態を、それ以後感じていない

という事になります。情けなやですが。

で、亭主さんも言われるように、乗れてるとか、乗れたでなく、

乗れてしまえばこちらのもの、と言う「状態」を維持ではなく、維持には

何か自力的で、倒れなくなる、乗せられている、降りられない、

そんな状態に入るのが肝要と思われます。

来年こそは牛歩の歩みですが、そこに達するようになりたいと思います。

それでは皆様、良いお年をお迎え下さいませ。

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自転車2

鬱陶しい亭主さんの「屁理屈はいらねー

に自転車に乗ることが書かれています。

そう言えば、自分も自転車のことを書いたなと探してみますと

初期に「自転車に乗ってもんもんと」を書いていました。

今、読みか返して見ますと、半分そうで、半分まだかな~と感じます。

少し余裕が出来て(力みを抜いて)周囲を見た時。辺りの景色は「もんもん」と

感じました。その「もんもん」から

「今日は日曜日だから何かおいしいものでも食べに行こうか?」

「今日は雨だから、ゴルフ行かなくて良かったな」とかとかいろんな思い、

煩悩が湧いて来ます。」

とありますが、「なにものにも思いをとどめない状態の維持」であれば、

「もんもん」とした状態を感じたとしても思いをとどめてはいけません。

その「もんもん」をああだ、こうだと評価しています。

そこにあります、やさしい・しんらん予備校井上さんの

「その「もんもんとした感じ」をそのままに。こころはもんもんとなるように

働いているだけです」

は、こころはもんもんとなるように働いているし、そう感じているなら、そう感じて下さい」

であり、

続けて「スカッ!としないのが心のようです。こうしてブログ書いていても

もんもんとしています。自転車に乗って、もんもんと進むだけです。」と書いていますが、

もんもんとしていようが、スカッとしていようが、どうしようが、自転車に乗って進めば

いいのです。

これは、今のわたしの見解ではです。

この道の自転車は、自転車がどれかが分からない。どう乗るかも分からない。

乗ってる積りで乗ってないかも知れない。

まったく意味不明の乗り物です。

が、亭主さんの言われるように

「あるいは自転車に乗れない人が自転車の乗り方に薀蓄を傾けるようなものでしょうか。

解脱したことがない人が仏教を語るってのはそういうことです。」

乗れているようで乗れていない、が、本当に乗ってみれば、その時、「分かる」

そんなもんでしょう。

今は、少なくとも「乗れている」と思っている状態をなるべく維持するのみです。

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何ものにも

「尺取虫2」にあります「尺取虫と真実」のリンクが上手く貼られてなかったようで

訂正しました。

昨日は雪がチラつく中をゴルフでした。

中止になって家でゆっくりしたい気分でしたが・・・

尺取虫と真実」にも書いていますが、やさいし・しんらん予備校井上さんの「自己の解決

にある「なにものにも思いをとどめない状態の維持」

この言葉がぴったりする状態の維持をゴルフ中でも勤めました。

維持時間としては、「ゴルフ」に書いた感じではありましたが、

今までは「やってるな」と言う感じが強かったのに対して、

やれている時は、ただそれだけ。

やれていない時から、「あっ、やれてなかった」と戻った時には、

ただそれだけ。

のような感じでした。

何ものにも思いをとどめない状態の維持とは、

何ものにも思いをとどめて、「ああだ」「こうだ」と比較、判断する自分から

一歩離れた位置で、ただ見ている、そんな感じです。

まだ雰囲気だけですが・・・

継続です。

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尺取虫2

以前書いた記事に「尺取虫と真実」があります。

昨日、「先頭」を意識しながらやっていた時にふと、この記事にありますラマナマハリシ

の言葉

エゴとは尺取虫のようなものである。次から次と湧いてくる思いに取り付いて行く。

1つの思いから、次の思いに取り付く間(ま)の感覚を維持しなさい」

が湧いて来ました。

「先頭」もこの「間」も同じこととは思いますが、その時感じた「間」の感覚が

妙にぴったり来ました。

「先頭」では、まだ「先頭」という言葉に濁りがある感じです。

この「間」は感覚そのものです。

思考はどんどん湧いて来ます。思考の停止はしません。

停止しようとすれば、「停止させる」エゴに尺取虫が取っ付いています。

ある意味では力の抜けたところではあります。

「尺取虫と真実」のようにグラスをみて集中して、とかでなく、

自分の頭(心)の思いをそのままにさせておく。

上手く書けませんが、こんな感じを維持しようとやっています。

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先頭

土日は大学時代の後輩に会いに出掛けていました。

飛行機での移動なんで、座っている間に集中して出来るかなと思ってましたが、

寝てる方が多かったです。

会ってる間は酒を飲んでワイワイ喋って、信心なんて吹っ飛んでました。

以前から目を瞑ると、走馬灯のように、自分の思いや、思考が見れている、

感覚的には「先頭にいる」って感じが出来ました。

しかし、目を開けると、出来ません。

閉じたり、開けたり、を繰り返したり、半目にしたりといろいろやってみますが、

どうも目を閉じてないと「先頭にいる」感覚が再現出来ませんでした。

土日辺りから、目を開けていても「何かそんな感じ」がして、

今日からは、目を瞑って確認しても同じ感覚を再現出来るようです。

持続はまだまだですが。

機内できれいなCAさんがちらちらするのを意識している自分の練

習が少しでも出来たからでしょうか・・・・

しかし、これがどんな意味が・・・無意味かさえ分かりませんが。

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自分の心に湧いてくる

以前、毎田周一先生の「口語訳歎異抄」を読んだ時に、

「自分の心に色々な思いが湧いて来る」と思っているうちはダメです。

(正確な文章は覚えていませんが、こんな感じです)

と書かれたところがありました。

そうだな、そう思ってるな。

で、今も、そう思っている。

前にご紹介したかも知れませんが、やさしい・しんらん予備校井上さんの

言葉に

「人間は、色々な機能、作用、働き、だけのものです。

1つの主体、中心となるようなものは何ひとつありません。

ですから、肉体とか、精神を磨きあげて行っても、何も役に立たない

という事です。

修練し、訓練しても、実体がない(機能、作用、働きのみだから)から

ただ、そういうことがあるだけという事にすぎません。

とあります。

自分の心に湧いて来ると思う からダメなのでなく、

自分の心に湧いて来ると思う という作用が働いているだけ。

と解釈するのが良いのではと思っています。

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ほんまかいな

自分の心をある程度観察出来ている時に、心が騒ぎ出すことがあります。

騒いでるな、と認識出来ます。で、その心に動揺している自分も分かります。

「自分の心を変えるのではない、その心が気にならなくなるだけ」

こうならないと、と言うより、こうなるんだろうと理解はしていても、

騒いでいる心を見ながら動揺している自分に「ほんまかいな」と思ってしまいます。

騒いでいる自分、その心に動揺する自分・・・それを、ただそのまま冷静にして

いれる自分。

こりゃ、まだまだだな~と。

そんなことになるんかいな~ ほんまかいな~

と思ってしまいます。

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ゴルフ

私はゴルフをします。

と言っても2週続くと、3週目はもういいかな。

という程度で、ゴルフさえ出来れば、と真剣なものでもありません。

ゴルフは結構単調なもので、打っては歩くの繰り返しです。

もちろんカートに乗っての移動もありますが。

だから、「そのまま・あるがまま」をやり易いと言うことも出来ます。

が、ゴルフはナイスショットばかりではありません。

むしろ、ナイスショットがまれであります。私の場合は。

その程度がひどくなると途端に「ああだ、こうだ」が出てまいります。

「分からん?!!」こうなってしまうと、もう「そのまま・あるがまま」どころ

ではありません。

しばらくしてして「全然できてないじゃん」と我に帰るわけです。

で、また続けなきゃ、と、やれたり、やれなかったりの繰り返しをやっていま

す。

今まで「よし」と思って結局出来ないことがあります。

それはボールを打つ前「アドレスに入ってスイングして、ボールが飛んで行く

まで「そのまま・あるがまま」を続けてやろう」と思ってアドレスに入って・・・・・

打った時にはそんな思いは吹っ飛んでます。

観察者が全くいなくなってます。

こんなことやりながら一日のゴルフを終え、「いまいちだったな~両方とも」

と考えながらハンドルを握ってます。

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書いてません

またまたご無沙汰しております。

先日、鬱陶しい亭主さんの記事に「書き続ける工夫」ってのがありました。

ある意味、かっこつけてます。

何か書ける変化があれば、進歩すれば、「おっ!」ってなことがあれば書いてやろうと。

ぐじゃぐじゃで「そのまま・あるがまま」なんて吹っ飛んでる時には書こうと思いません。

書けません。

亭主さん「七転八倒している自分の姿」

こりゃ書けます。

毎日、これの繰り返しですから。

亭主さん「文章くらい書けなくて自覚を自覚するなんて無理です」

これは自分を見れてないってことでしょうか。

今の一番の悩みは、持続出来ないってことです。

「どうすれば?」

これをそのままにすればいいとは分かっていても、

その場では出来たとしても。

時間の経過の中では、こまねずみがこまねずみを演じて、

こまねずみを演じるねずみが、そのままになっていません。

早く回転すればするほど、急に回転すれば、また

ここんところでうんうんと唸りながら「何か良い方法は?」と

常に頭ん中に浮かんで、そうか、こうか、とやっておる自分です。

前回からいつの間にやら一ヶ月も経ってしまいました。

今後はもう少しこまめに書きたいと思います。

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