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何かをしてしまう

ゴールデンウィークは、なんやかんやとバタバタしてあまり進歩がありませんでした。

連休も終わり、月曜日から「頑張らねば」とやっていますが、どうも調子良くありません。

頭の風通しの良い状態が少なく、弄りまわして(鬱陶しい亭主さん)おります。

どうもおかしい。これじゃブログを始める前と同じだが。

と、昨夜は検証してみました。

これを続けていると「風通しの良い状態をなるべく長く保ちたい」とは思っています。

思っている我(われ)がいます。

これは無くそうと思っても仕方ない、どんな思いも自分の意志とは関係なしに湧いてくるの

で、覚りたい!も、旨いもの食いたい!も、湧いている時は仕方ないのです。

「・・・したい」と思うと「どうやって、良い方法は」と次に回転して行きます。

それを、そこでそのままにしてやらないと、ついつい「こうか!」となって、少し何かを

やってしまいます。

やさしい・しんらん予備校井上さん

「、悩みのもとである意識・認識・心の働きそのものにとらわれて、その意識・認識・心の働

きの外に一歩として出られないということでした。つまり、心の働き自体が、心の働きの微

妙で自在な活動に惑わされて、そこから少しも出られず、心の働き・認識・意識の中にあっ

て、意識の内容だけを問題にし続けていたという事に気づいたのです。そこで、わたしは、

意識の内容など問題とせず、「なにもしない」ことに集中しました」

マジ」にも書きましたが、以前、井上さんからのメモにありました

「煩悩を観察する、感じる、見るとは、ああ これで良いとか、ああだめだとか、状態を自分

で意識してしますと、依然として自分の言うものが残って、自分と言うものがあって、そうい

う状態を見つめているということです。

経験した、体験した状態と言うものを認める自分があるからだめなのです。

進歩がないのです。

これでは無我、信心の真っ只中とは言えません。

いったん経験したもの、体験したものは、捨てて行かなければなりません。」

ここと同じことと思います。

ここは本当に大事と思いますが、ついつい何かをしてしますのです。

してないようでしてしまうのです。

仏教ブログzenkyuさんに

「自分の心をただ観察するだけでよい。観察するだけでよいが、これがなかなかできそうで

できない。わたしがわたしの心を見るのではなくて、仏さまに見ていただくように念仏す

る。」

とありますが

「自分の心をただ観察するだけでよい」とあって「わたしがわたしのこころを見るのではなく

て」とあります。

「わたしがわたしのこころを見て」でも良いように重いますが、

ではなくて「仏さまに見ていただくように念仏する」と書いてあります。

ここも上に書きました「何もしない」と同じことになると思います。

「仏さまに見ていただくように」とは?と考えますと弄りまわしてしまいます。

何も気にせず「意識の内容など問題とせず(井上さん)」

「自分のこころをただ観察する」「仏さまに見ていただくように」を忘れて

頭の風通しをよくして、弄りまわさなでいれば、それが「仏さまに見ていただいている」

になっていると思います。

自分から「仏さんは見てるのかな~」なんて考えてしまうとおかしくなります。

昨夜は、結局、すこし「何かをしていた自分」に気付き、「何もしない」を気を付けたところ、

テレビを見たり、パソコンで探し物をしていても風通しの良い状態をある程度続け

られるように回復しました。

と言っても、まだまだです。

が、これから・・・

と考えますとおかしくなります。

「なにものにも思いを寄せず瞬時瞬時を切り落としていく努力、今に遅れない努力でした(井上さん)」

今、風通しが良いか、この継続です。

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