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2011年3月

心の動きの外

あまり自分の書いた記事を読み返して見ることはないのですが、昨日書きました通りでし

た。

やり出して「自転車に乗ってもんもんと」このあたりからおかしくなってます。

やさしい・しんらん予備校(自己の解決の最初)に「問題のポイントは、悩みのもとである意

識・認識・心の働きそのものにとらわれて、その意識・認識・心の働きの外に一歩として出

られないということでした。つまり、心の働き自体が、心の働きの微妙で自在な活動に惑わ

されて、そこから少しも出られず、心の働き・認識・意識の中にあって、意識の内容だけを

問題にし続けていたという事に気づいたのです。そこで、わたしは、意識の内容など問題と

せず、「なにもしない」ことに集中しました。」

ここに書かれていることでした。

自分に湧いてくる思い、煩悩、そればかりに気を取られ、もんもんとするならするで、「い

ま」であれば良いわけなのですが、もんもんとする自分の心に気を取られ、何をすべきな

のかが分からなくなってしまってました。

本当に、始めた数日の感じは正しかったと思います。とにかく遅れないことに集中していま

した。が、いつのまにやらおかしくなっていました。

それを、ある意味続けていたのです。

自分の思いを見る、観察するのは間違いないのですが、「見ようとする思い」が上の井上

さんの文章にある「その意識・認識・心の働きの外に一歩として出られないということでし

た」でした。

継続します。

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ただ

以前、息子がセンター試験を受けたことを記事に書きましたが、志望校に合格しました。

安心し、嬉しい、と言う気持ちがありますが、その「上手く物事が運んだ」ことに、ついつい

「このままでいい」と気が緩みそうになりますが、自分の問題とは別物で、こちらはこちらで

やって行かないといけません。

最近、思うことは、自分が苦しいのは「煩悩」があるからだと、煩悩、思いを「見る」に拘っ

ていたように思います。

思いを見ようとすると、見ようとする心がそこにあります。

なんで、上手く行かないのです。

ただ音が聞こえ、ただ見れて、ただ思いが湧いてくる。

ここの「ただ」のところを維持しないといけないと思います。

もう半年近くになりまして、まだこんなことしか書けないのも情けないのですが、ある意味、

ブログの最初の頃の感じで良かったんじゃないかと思っています。

あの後、すぐに停滞状態に入ってしまったような気がします。

悟ろうと思わなければ悟れないが、悟ろうと思っているうちは悟れない。

ここのところの難しさかと思います。

ただ見える、ここをやってますと、思いを見よう、と言うこころはありません。

思いは、あるが。な感じです。

が、まだ継続性の問題です。

牛歩ですが、継続致します。

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単なる動き

体調も良くなって来ましたが、求道の方は中途半端な状態がこの数日前まで続いていまし

た。

意識が分散すると言いましょうか、集中出来ないと言いましょうか、どうやってもそうなっ

て、自分でも嫌になる感じでした。

この数日はやっと、自分の心のままが見える状態を維持しやすくなったようです。

やさしい・しんらん予備校の井上さんは、心は単なる働き、作用のみのものである。と

言われます。胃や腸が勝手に動くように、心も、頭も動いている。

と言われても、すんなり理解出来ない訳ですが。

ただ、ここを「そうか作用しているのか、それを見てやろう」とやるとダメなので、

いつかは分かる時が来る。と、ため息をつきながらやっている次第です。

ある意味、何の変化も、進歩も感じられいところです。

暗中模索。

継続のみです。

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