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2011年2月

大風邪

ご無沙汰しております。

9日ほど前から大風邪を引きまして、やっと楽になれた感じのところです。

そんな訳で、とても集中出来ませんでした。

これから気を取り直してやって行きます。

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AからBへ

週先の木曜日から日曜日まで、大学時代の後輩とその友人が遠方から遊びに来ていまし

た。ゴルフと飲みの連日で、まったく空白な求道でありました。

日曜日の午前中に飛行場まで送って行き、その後、やっと体制が取れた次第です。

以前のように「続けよう!」とか「この心!」とか、動きが少なくはなっていますが・・・

やさしい・しんらん予備校井上さんが言われたように「今の自分の状態以外に求めない」

これは「実は、すでに悟っている、今の自分の状態以外に求めない」と解釈したこともあり

ますが、「今、湧いている心の状態以外に求めない」とも取れると思います。

以前は前者の解釈で書いたこともありますが、今は、求道の身、後者の解釈でいいので

はと思っています。

何度か書いたかも知れませんが「悟ろうと思わなければ悟れないが、悟ろうと思っているう

ちは悟れない」

と言う言葉がありますが、これになります。

辛い出来事、辛い現実、それをどうにか変えたいと思いますが、どうしようもない時、

この世とはかけ離れた「悟り」なるものを求めたいと思う場合もあります。

私もそんな一人です。

その過程の中で、この世を変えるのではなく、問題が単に自分の心にあることに気付いて

来ました。

この心の収まり所がないわけです。

内観を通して心を自覚すればするほど心は辛く感じます。

これまで人生を楽しむためにあった快楽を求めようとする心さえも、苦痛でしかなかったと

理解できるようになりました。

しかし、この心の収まりはついていません。

「この心、いったいどうすればいいのだ?!!!!」

昨日鬱陶しい亭主さんの初期の文章を読んでおりました

が鬱陶しい亭主さんの文章からです。

あるがまま・そのまま」の実践についてはリンク先をご覧ください。そこにすべてが書かれ

ています。私が付け加えることは何もありません。

私は、10年前に初めてやさしい・しんらん予備校の文章を読み(鬱陶しい亭主さんよりも前

です)以後、井上さんと直接お話しさせて頂いておりますが、まだ迷っております。鬱陶しい

亭主さんが書かれているように、私が付け加えることはありません。と書けることが、私の

辛さにもなるのですが、あえて、鬱陶しい亭主さんをこの道のエリートとしまして、私のよう

にうろうろしている、牛歩求道者の方もおられると思い、共に歩んで行きたいとブログを書

ています。

次に「下手にこねくり回さずにただひたすらピュアに悩んでいることができるなら」とした部

分についての考え方を述べさせていただきます。

まずこの世は諸行無常であるということが大前提であると思っています。単純に申し上

げますと「A」は永遠に「A」であり続けることができないということです。「A」は時間の経過

により必ず「A」であることを終えます

ある程度心を見ることが出来ると、心はこの世と同じように変化するものであるとの認識

は出来ると思います。

すなわち「苦悩A」は「苦悩A」である限り必ず「苦悩A」であることを終えると思います。「ピ

ュアに悩む」という意味は「苦悩A」を徹底して「苦悩A」のままにしておくことに他なりませ

ん。苦悩を解消しようとしてジタバタしてはならないのです。

おそらく「あるがまま・そのまま」ができないとおっしゃるのは「苦悩A」を弄り回して「苦悩

B」にし更に「苦悩C」へ「苦悩D」へと変えていってしまうからではないでしょうか。それでは

いつまでたっても転変を繰り返すばかりで落ち着き先はどこにもないであろうと思います。

理屈では分かっていると思っている方も多いかと思います。私もそうなのですが、

心の習性として、苦悩Aが出ると反射的に苦悩Bへ変化します。取り除こうとする心が生ま

れます。ある意味苦悩A+Bのような混合体になります。

「悟りたい!」もこれです。元の苦悩Aと「悟りたい!」の苦悩Bが混合し、「どうしたら?」の

苦悩Cがくっついて苦悩Dとなります。

悟りに方法は、出口はありませんので、この苦悩Dで苦しむことによって道は進んで行くの

だと思いますが・・・悟ろうと思わなければ悟れない、はここのとこだと思います。

それではいつまでたっても転変を繰り返すばかりで落ち着き先はどこにもないであろうと

思います。

悟ろうと思っているうちは悟れない、はここのポイントの転換が必要と思います。

私もそうですが、ここでつまずいておられる方もおられるのではないでしょうか。

「悟ろう!」も苦悩なら、変化して行くはずです。

『この方法で、いいのかなあ?と思ったら、その思い、その思いがわいている

「今の状態」を維持するのです。』井上さん

これは日常に色々湧いてくる苦悩でも同じと思いますが、

そうか、その思いをそのままにすればいいのか、とそのままにしようとする苦悩が

くっついていると鬱陶しい亭主さんの言われる

それではいつまでたっても転変を繰り返すばかり、です。

ここの微妙な苦悩のくっつきを無くして、単純に「今の自分の状態以外求めない」

ことをすることではないかと思うのです。

自分にとってのポイントは、苦悩もこの世と同じように変化して行く。です。

以前、井上さんとお会いしてお話した時「苦悩は放っておけば無くなりますよ」と言われまし

た。

それくらい分かってますよ、ちょっとした心ならそれが、それくらい理解出来るけど、どひゃ

~とした心が湧いたら吹っ飛んでしまうから、どうしたらいいのか聞いているんじゃないか

poutと思ったものでした。

が、心も無常、確かにどひゃ~とガンガン苦悩している心は放っておいてもすぐに変化し

ませんが、すぐにそこまで辿り着くのでなく、このこころの小さな変化。ちょっとした心が、す

~と消えて変化して行く、その感覚。

小さな苦悩、小さな変化、ここならすぐにくっつく苦悩Bが生まれ難いと思います。

ほんの少しの苦悩をそのままにする、苦悩Aとして、苦悩A+Bに変化させないでおくことと

思います。

「ピュアに悩む」という意味は「苦悩A」を徹底して「苦悩A」のままにしておくことに他なりません

牛歩求道人から言いますと、でっかい苦悩Aをそのままにして悩むということは至難の業

です。

そうか、そのまま悩むのか、と「ウ~」悩みと対決する苦悩Bが生まれてしまうのです。

「ピュアに悩む」とは、フッとした小粒な苦悩Aが無常の鉄則で変化して行く様から身に着

けて行けばと思っている次第です。「悟ろう!」とはもう思って歩んで来たのですから、今は

「悟るには、どうしたら?」の悟ろうなどとどでかいことを考えずに、心の小さな変化、例え

ば、ゴルフ場でトイレに行って(小さい方)、後ろの個室から漂う不快な臭いのその苦痛、

苦悩をそのままにして用を足してみるとかです。

たとえそれがトイレの臭いの苦痛(苦悩)であっても

「どんなことがあっても、今の自分の状態(心の苦痛)以外に求めない」井上さん

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身動き取れず

間隔が開いてしまいましたが、正直、書くことがないと言う状態です。

宙ぶらりんといいましょうか。

「しかしな~、あ~、もっとな~なんとかな~」と浮かんでも、その思いをそのままなんで、

やることがないと言いましょうか、かと言って「なんかいい感じだぜ!」もない。

真正面から悩むとは悩みを自覚し続けることです。そしてそれをもっと縮めて言えばただ

ひたすら悩むことであると言えます。ひたすら悩むのです。

このあたりのことは他にもいろいろな言い方が可能です。苦悩に手を着けない・悩みは放

っておく・身体の状態を観察する・心を弄り回さない・脳裏に沸くものは沸かせておく……こ

のくらい並べると参考になりますでしょうか」鬱陶しい亭主さん

ひたすら悩むってのは難しいですが、我が煩悩さんに手を付けない、放っておく、「分から

ん??ふ~(ため息)」が出れば、そのままです。

分からんを持ち出して「そう言えば、この前の感覚良かったぞ」とやりますと「弄り回す」こと

になってしまいます。

なにものにも思いをとどめない状態の維持」やさしい・しんらん予備校井上さん

これと同じですかね。

そのままと仰せらるるに、そのままになろうと、かかり、ひとり苦しむ」やさしい・しんらん予

備校にある法語カレンダー(真宗教団連合)

ここの「そのままになろうと」は、上の鬱陶しい亭主さんの言葉にもありますように、「その

ままだ!」と言われたら、「??そのままとは?」と湧いた時点で「そのまま」です。

どうしたらいいのだろうという思いに困っても、困った思いそのものになっていればいいの

です。井上さん

「あるがまま」について鬱陶しい亭主さん

今の私には短期的には間違いの「そのまま」ですが。

今は、このまま身動き取れず(取らずに)にもんもんと過ごすことかも知れません。

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