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2010年11月

時の最前線

あれから、23日のゴルフ中は、出来ていない時でも、自然に そのまま・あるがままの状態

戻る感じで、このまま行けば、一日の殆どの時間をガラス張りに出来るな。と思っていた

ですが、翌日から不調となりました。

「何とか」と思い、その「何とか」がそのまま・あるがままだ!とは思うのですが、

離れてないと申しましょうか、ガップリ四つと言いましょうか、あせるばっかりでした。

今朝、テレビを見ていて、好きでないキャスターが映り「こいつ嫌だな~」と思ってチャンネ

ルを変えようとした時に、「嫌だ」の体感と「チャンネル変えよ~」と思った思いに、微妙な

時間差を感じ、単に煩悩の苦痛を感じているだけの自分と、煩悩を自分だと思って煩悩の

連鎖の中だけで動いている自分の差みたいなものを感じ(少し表現が難しいです)

それから少し良くなりました。

ここからは昨日書いたものです。

苦悩と向き合う、観察する、見る、そのまま・あるがまま・・・・

同じことと思いますが、分かっていてもなかなか出来ないものです。

自分はちゃんと踏むべき手順を踏んでいるのかと。何か忘れていることはないのかと。こ

仕方はこれでいいのかと。やるべきことを過不足なくやっているのかと。ちゃんとやらな

ければ結果は出ないぞと。ちゃんとやれば結果が出るぞと。自分はやればできる子なの

だからと。鬱陶しい亭主さん

鬱陶しい亭主さんのこの文章全体を読んでもらえれば、ここでのメソッドは、スタート時点

での「じゃ、どうすりゃいいの?」

となると思います。

「ほう、苦が苦に感じなくなる。そりゃどうすりゃいいのかな?」

「こうすればいい!」と言う方法があるはずないじゃないですか!って言うのが鬱陶しい亭

主さんです。

でも、苦悩と向き合う、観察する、見る、そのまま・あるがまま・・・・

とやり方が書いてあるじゃないですか?!

苦悩としっかり向き合わないから苦悩から離れられないのです。苦悩から逃げ回っている

とあさっての方向に行っちゃいますよ。鬱陶しい亭主さん

ここのところは自分の理解度ではありますが、微妙なところです。

苦悩から逃げ回っているのが普段の我々です。

ある時ネットで「苦を苦と感じなくなる」と書いてあるのを見つけて、こりゃ言いページを見つ

けたわい。とほっとして喜んでいます。

逃げ回る延長線上で捕らえてはダメですよ。と言うのが鬱陶しい亭主さんです。

「苦悩と向き合え」か。じゃどうすれば苦悩と向き合えるんだ?

「観察する」じゃどうやって・・・「そのままにする」じゃどうやって・・・・

そのどうする?ごと向き合えってのがお話と思います。

でも、逃げ回ることばっかりしていた癖で、どうしても方法論に戻ってしまうものです。

「その???」すら向き合え!

「その???ってなんだ?」

「向き合えだよな~??」

と延々と続きます。

これでは逃げ回ることと変わりません。

「男は黙ってサッポロビール」ってCMがありました。

澤木興道老師(曹洞宗)が、「さとりとは、耳が聞こえなくなるほどの凄まじい銃撃戦が続い

た後の“撃ち方やめ!”の号令のようなものだ」と、どこかに書かれていたように思いま

す。仏教ブログ全休さん

まだ悟りに至る前で、その入り口ではありますが、現在の私からは「撃ち方やめ!」が

「苦が苦でなくなる」方法と思います。

ここの闘いです。

今日は調子悪しです。「撃ち方やめ!」・・・「わかちゃっいるけど止められない」

取りとめもなく書いて、読みづらいとおもいますが、以上が昨日書いたものでした。

やさしい・しんらん予備校の井上さんは「時の最前線」と良く言われます。

「時の最前線」???

この意味には本当に悩んだものです。

井上さんの 自己の解決には、そんな文章が出て来ます。

「時の早さに負けないように集中して「これでいいんだ、これでいいんだ」と、なにものにも

思いをとどめない状態の維持に一心に取り組んだのです。」

「ものすごく早い今・そのまま・あるがまま」に目が潤んできたのです」

上に書きましたように、今朝感じていたことから そのまま・あるがまま をやっていた時

に、やっと「時の最前線」の意味が分かりました。

朝感じた時間差を維持して行くと、そこに「時の最前線」を感じることが出来ました。

これは嬉しかったです。目新しいことではなく、前回書いたことの延長ではあります。

でも、維持はまだまだ。継続です。

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こんがりと焼かれる

前回の記事を継続しています。

「苦悩の炎の中で焼かれ」鬱陶しい亭主さん

以前から「煩悩」が苦痛であることは感じてました。

が、ぽつぽつと湧いてくる苦悩が、こちらに向かって火炎放射の炎を吹きかけながら湧いては消えて行く。

そんな様がより客観的になって来たようです。

太陽が出ては消え、出ては消えしながらこんがりと焼かれているような感じです。

今日は100km程度車で走ったのですが、運転している私と、あれこれ考えながらやってる自分との違和感があり、

別ものが運転しているような感覚を少し感じました。

意味があるのか、どうでもいいことなのか分かりませんが、書いておきます。

いつものように、日曜日夕方の暗い気持ちに焼かれながら、おっ!明日働けば、明後日は久しぶりのゴルフだ!

炎を消そうとしています。

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これでいいのか??これでいいのだ!!

微細な心の動きも そのまま・あるがままに出来るようになって来ました。

大きな心の動きは比較的感じ易いため、そのまま・あるがままとし易いです。もちろん、ど

ゃ~と言うような心の動きでは、感じ過ぎてぶっ飛んでしまいますが。

ふと心に浮かんだ思い、ふとした行動の衝動、そんなものも、自然に そのまま・あるがま

まに出来る時間があります。

もちろん仕事中などは無理です。

「観察しよう!!そのまま・あるがままだpunch」と「う~」と唸るようにやることもありません。

ブログ始めた頃は唸ってました。

むしろ「観察しよう」はこれぽっちもない状態です。

ただ見ているだけで、なんの動機もない感じです。

動機のような心の動きは、自動的に そのまま・あるがままに消えて行きます。

が、まだここを集中してやれる時間が少ないので、今後の不確定要素はあります。

井上さんとのメールが参考になりました。

分かりませんを書いた頃の返信にこの「もんもん」でどうだ?と、たまには自分に聞い

てみる」ってのがありました。以前にも「これでいいか?これでいいか?問うて、問うて、

進むのです」と言うのがありました。

ここの「聞いてみる?」「問うて?」は「疑問」です。

尺取虫と真実」から・・・「鬱陶しい亭主さん自分の思いを放置していると「こんなことを続

ていて良いのだろうかという思いがしばしば沸いてきます」

本当に疑問は色々と湧いて来ます。「これでいいのか?」「自分だけ間違ってるのじゃない

のか?」「全く方向違いのことしてるのでは?」「自分には無理なんじゃないか?」等々湧い

て来ます。

その疑問を そのまま・あるがままに出来ずに(実際出来ないことも多いですが)

尺取虫に捕まってしまうと そのまま・あるがままではなくなってしまいます。

この自分にとって悪者の「疑問」をわざと自分に投げつけてみる。

本気で「これでどうだ?」を考えるのでなく、その「これでどうだ?」が自然に そのまま・あ

るがままになっているか、なれているか、の確認となると同時に、「やるぞpunch」の力みの

抜けたポジションが取れることになります。

この道は、最終的には「このままでいいのだ!!これでいいのだ!!」に収まるとは思い

ますが、今は「これでいいのか?? これでいいのだ!!」の「??」「!!」の感覚がそ

のまま・あるがままになっているか?です。

一昨日より「問うて」みましたが、今朝から上に書きましたような感じになって来ました。

盲人が盲人の手引きはできない

このジレンマの中で書いています。

継続です。

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逃げようにも逃げ場などはない。闘おうにもかなう相手ではない

鬱陶しい亭主さんの文章に「逃げようにも逃げ場などはない。闘おうにもかなう相手ではない」と言うのがありま

す。

わたし的には「自分はいつ暴れだすか分からない暴馬に乗っていて、いつもびくびくしています。少し暴れ出すと

「降ろしてくれ~!」と叫んでいますが、暴馬が少し落ち着くと、何か良いものは無いかな、とスケベ心で辺りをキョ

ロキョロとしています。が、いつ暴れ出すか分からない暴馬を何とかしなければ、自分の人生は、スケベ心とびくび

く心の繰り返しであり、良い方法はないかいな~といつも考えています」となります。

鬱陶しい亭主さんは、また「自分の心模様から離れてその心模様をシレっと見ている「眼」が皆様に生じることで

す。その「眼」が生じればそれでよいのです。自分を見る「眼」がフっと生じたその瞬間。苦悩の炎の中にいたはず

なのにその炎の外にいると気づいたその瞬間。自分を眺め見る視座に一瞬でも収まったその瞬間。ほんの一瞬

ではあっても自分の心模様から引き剥がされたその瞬間のその感覚。それを決して取り逃がすことのないように

していただきたいのです。このサイトがそのための良いご縁になること。それを願って駄文を書き連ねているので

す」と書かれています。

また「苦悩の炎の中で焼かれていたはずなのにフっと気づくと炎の外にいた。それを身体で知っていただきたい

のです。それはできます。炎を消す必要はないのです。離れてしまえばそれで足りるのです。火事が起きても対岸

の火事です。それでこそ彼岸に渡ると言うのです」とも書かれています

暴馬にはこのまま乗り続ければよい、暴馬の暴れるままにさせておけばよい。そのまま・あるがままですね。

今の私には、苦悩から逃げようとせず、苦悩に焼かれるようにすることしかないようです。

しかし、何か良い方法はないかいな?と逃げ道を探す癖がすぐに出てきます。

しかし、そこをグッと踏ん張って、焼かることに徹することです。

「逃げようにも逃げ場などはない。闘おうにもかなう相手ではない。ただ向き合うしかない」鬱陶しい亭主さん

継続です。



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寄り道 追加

鬱陶しい亭主さんの文章に、今やり続けていることに近い文章がありました。

離れる」です。

何ものかと一つになりたいという思いから離れることだ」鬱陶しい亭主さん

美味しい食べ物、思いを寄せる人、絶景の観光地、また、あの体験をしたいと言う思い・・・

では、何もしないでいるのかとなりますが、湧いてくる欲求に対して、一つになれることは数少

ないものです。

数少ないものは、1つになればいいと思います。

「人としての道徳常識は、心得てのことです」やさしい・しんらん予備校井上さん

ことこの道に関してのことは1つになってはいけませんね。

どんな思いとも一つになろうとしてはいけません。今回の私の教訓です。

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寄り道

少し寄り道をしていたようです。

ある程度 そのまま・あるがままが出来るようになり、もっと自然に、もっと継続して、もっ

と・・・と思う心に誘惑されて、思いを乗せきれていなっかたようです。

そのため、うんうんと唸ってました。

分かりません」に書きましたように、うまく出来ている時は「はまった!」な感じで出来ま

す。

努力していなくても自然に出来ます。「なにものにも思いを寄せず瞬時瞬時を切り落として

いく努力、今に遅れない努力でした」やさしい・しんらん予備校井上さん。

自然に今の先端にいる感じです。

が、なかなかそこになれません。そのため「ああか、こうか」と動き出してしまいました。

昨日より、心機一転、このブログを始めた頃の感覚に戻しました。

やはりこの方が今に遅れない(自然に認識できている)ようです。

色々な思いに誘導されてはいけないと分かっていても、ついつい捕まってしまうようです。

その思いが自然に切れていく、過ぎていくところの維持でありました。

継続いたします。

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変化なしです

前回の「分かりません」から何か変化があったかと言うと、あまりありません。

これと言って書くことがないのが実情です。

「今の状態のみが真実」やさしい・しんらん予備校井上さん

からすれば、この今の「もやもや」のみが真実と言うことになります。

また「そのまま・あるがまま」が真実です。これ以外は何もない。いっさい求める

べきものもない。探すものもない。「今このままで本当によかった」「一切求む

べきものも捨てるべきものもなかった」となるのが目標です」井上さん

「これだ!」「これか!」もない。

今の心をそのままに

今は、この心に耐えるしかないかも知れません。

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分かりません

正直、今の状態は、良くもなく、悪くもなく。それなりに そのまま・あるがままは出来ている

が、ばっちりでもない。自分の状態がどんな感じなのかさえ分からない、まさにもんもん状

態です。

先週の金曜日は、十数人の飲みがありましたが、飲みの間もかなり出来てました。

この土日は、遠方まで羽田経由で出掛ける用事がありました。台風の影響で、急遽、伊丹

経由にしたりとバタバタしてしまうと、イマイチです。

出来ている時と出来ない時があり、それをコントロールできていない自分があります。

しかし、出来るときは「はまった!」な感じで、すんなり出来ます。

ブログを書くのもはばかれるくらいもんもん状態です。

こんなのでいいのか、悪いのか、さえ、自分がやれてるのか、やれてないのかさえ分から

ない状態です。

もしかしたら、やる気が萎えてるのか?分かりません。

もっとはっきりして書きたいのですが、これもこれかもと思います。

そんな状態です。

もう少し時間を下さい。

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