考えすぎ

本当に久々の更新です。

元気に生きております。

何を書いて良いのやらの状態でした。

「浜松で禅修業」様の「浜松の老師~冷蔵庫のたとえ」のコメントの9番に


老師「考えずに、何もせずに置いておくことが修行なんですよ」

参禅者「分かりました。考えずに、何もせずに置いておくことが修行なんですね」


老師「ほら、もうそうやってすぐ誤解しちゃう」

もしこの質疑応答にピンと来られるようでしたら大丈夫ですが、何が間違っているか分から

ないようでしたら誤解の危険性があります。これほどまでに言葉での理解は危ういです。」


とあります。

これはピンと来るのです。

また

見性者への質問」に「いや、それしかないんですよ。」とあります。

それしかない、と言うことでした。

言葉の理解でやっておりました。


この記事を書いた後に、1つ前の記事「何もしない」を読みました。

似たようなことを書いてはいるのですが・・・です。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

何もしない

「今のカレー」のコメント数が多くなりましたので、記事を変えてみました。


「何もしない」と以前にも思ったことがありました。

思えば25年、真実を探し、悟り、妙好人の存在を知り、真実はあった!

どうすれば自分もそのような境涯に・・・と思って、起きても、飲んでるときも、

出来てる、出来てない、これでいい、こんなんじゃ、とやって来ました。

以前、不識さんから頂いたコメントに

◎「自分を取り扱うこと」とは、
道元禅師の言葉を借りますと、「自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて 自己を修証するは悟りなり」です。


上記、「考えを先に立てない」とは、
香樹院徳龍の言葉を借りますと、
香樹院「そのままだ」
聞法者「そのままですね」
香樹院「そうじゃない」です。

とあります。

これを当てはめますと
「何もしないままだ」
「何もしないですね」
「そうじゃない」

となります。

以前の私は、「何もしないですね」と納得してしまうことが、

「そうじゃない」なんだよな。と考えてましたが、「納得することが、悪いんだよな」も

穴のむじな、と言うことです。

「何もしないですね」と自分を自分で「自分を取り扱う」ことをしています。
「自分で取り扱うから悪いんだよな」も同じと言うことです。


じゃ、何もしない、はダメなのか、と言いますと。

「何かをしようとする思いが湧いたら、そのまま手付けず」と思います。

「何もしないとは?」「出来てないぞ」「ハッキリしないな」・・・

と湧いてきますが、それは、それとして、生活をすることです。

「前向き」と言いましても、あらためて「前を向く」こともする必要はありません

「~しよう」の裏には「~なりたい」があります。

自分では何にも分からずに生活をしていることが、前向きだと思います。

「そうは言っても、どうやればいいか・・」と湧けば、そのままです。

書いてる私も、分かりません。偉そうに書いてますが、生活をしようとしているだけです。

それが自動的に、分からずに「何もしない」と思います。

ではこうやって、あれこれ考えながら書いている時は・・・

いろいろと湧いて来ますから、セルフイメージに関連する思いは

そのまま、スルーして、と言うことでしょうか。

| | コメント (13) | トラックバック (0)

今のカレー

またまたご無沙汰しております。


カレーを食べる時には、カレーを食べる。

ですが、

カレーを食べようとする時に、

よし、カレーを食べる時は、カレーを食べるだな、

とするのではなく、

今、いま、の連続の中に

カレーを食べていることがある

と言うことです。

必然的に、カレーを食べる時は、カレーを食べるです。

| | コメント (27) | トラックバック (0)

シンプル

ご無沙汰しております。

カレーを食べるときは、食べる

これですが、かなりシンプルなことと感じています。

見て、匂って、食べて、味わって

のみ

旨い!が出ても、出たは後で

それを日常やる、と言うか

生まれた時はそうであったことをする、だけと思います。

する ことです。

すでにしていること、に落ち着くと言いましょうか。

シンプルに生活します

| | コメント (0) | トラックバック (0)

カレー

結局 井上貫道老師が言われるように


「カレーを食べるときは、カレーを食べる」

これに収まるんじゃないかと思います。

前記事に書いた、本気出す必要もありません

カレーの香り、辛味、甘み・・・

今の生活

| | コメント (0) | トラックバック (0)

目の前

前を向く、目の前、と言いましても難しいものです。


じゃ、音を聞けば良いのか、前も物が見えれば良いのか、認識してたら良いのか

って考えます。

結構、苦しみましたよ。

意識が向いている。

こんな感じかと思います。

井上貫道老師の言葉に

カレーライスを食べている時に、
「昨日もカレーライスだったな、
昨日のカレーは美味しかったなー、まずかったな」
なんて思いながら食べているのは、
今目の前の事実に触れていません

単にこれだけです

目の前に本気になることです

ですから、これから得ようと思うことではありません。

今まで、自分のことに(今の)真剣でなかっただけです

そうだな~ と、これからの実行です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大切なこと

以前「心の算段」に三聖さん(現在の不識さん)から頂いたコメントです。

>いろいろな心が湧いてきますが、その心は、聞こえる音と同じでしかないと思います。

そうです。
音が耳に残ってないから、次の音が聞こえる。
思いが心に残ってないから、次の思いが出てこれる。
今さっきの考えは気持ちはと認識した時点で、もうそれら出たものは消えている。
あると思えているのは観念です。


>この方法で、いいのかなあ?と思ったら、その思い、その思いがわいている
「今の状態」を維持するのです。(井上さん)
>気持も、感覚も、「そのまま・あるがまま」にして下さい。
(井上さん)

いいたいことは、・・・
「心の状態を維持する」ように、「そのまま・あるがままに」するように、
これから、心を実体あるものと認識して、
「心」(心実物でなく概念に変換された観念化された心)に作業するんでないです。

そうしないよう気をつけたいんです。

手をつけないことです。
結果として。

何回も申し上げて、恐縮ですが、・・・
「そのまま・あるがまま」にしようとしたら、
そうでなくなってしまう。
「そのまま・あるがまま」であるというのは、・・・
自分が自分を「そのまま・あるがまま」と認識できていないことです。

つまり、
繰り返しですが、・・・
目の前に関わっていることです。
それが、本人「気付かないうちに」そういう状態維持になっておる。

ここまで

この15年間の誤りは

「心の状態を維持する」ように、「そのまま・あるがままに」するように、
これから、心を実体あるものと認識して、
「心」(心実物でなく概念に変換された観念化された心)に作業するんでないです。

これでした。

井上さんは、分かった者として話されます。
その話しを、そのまま自分に当てはめていたのが上記のことです。
それを延々としていたのです。

ですから、目の前です。注意は目の前のみです。
これで全て事足りると言うことです。

同じコメントから

三聖さん

それから・・・どうしなくとも、「今」です。
今にいるのに今を探し求めることは労多くて功なしです。

ここまで


目の前を認識出来ない人はいません

そのありきたりのことをすることです

| | コメント (0) | トラックバック (0)

何もしない

何もしない


と書きますと、すんなり感じられません。

ただ聞く、見る、

今、あるように聞く、見る

聞く、の「く」もなく、見る、の「る」もない

それが、言葉にすれば、何もしない、何もしてない、と感じます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

泥地獄

問題があるのは自分なんだと分かって来た感じです。

外の音が何の努力も無く聞こえる

ここに問題はありません。

自分の内に、泥温泉の沸騰のように


問題が湧いて出てきてます。

それを解決しようとしていたのが今までで、悟りを目指す人も、普通の人も同じです。
悟りも問題の一つです。

湧いたら、湧いたまま

問題をつかめば、そこから泥地獄です。

不安、欲求、怒り、湧いたら、そのまま

そのまま行動です(宇佐療法ブログ 不識さん)

見える、聞こえる 、その世界が、すでにあって、

問題がブツブツ湧いて出ている ことです。

これは止められません。

そして、何もしない、ことに耐えると、そこに

見える、聞こえる世界と同じ ことが分かることと感じます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

結局

いろいろと ああだ こうだ と やりましたが


「今」の事実を生きること と 理解しました。

理解しました と 生きること は 同じです。

前を走る電車の音、車の騒音、赤ちゃんの泣き声、パソコンを打つ音・・・

その 「今」 の 事実を生きる です

聞こうと思わなくても、何もしないけれど 聞こえてくる 音です

なんだ こんな 簡単なことなら 今さら・・・

そんな こと でした 

しかし 私が 「そのまま・あるがまま」を 納得した のではありません。

とにかく 今の事実 に生きることです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«外向き